「私が見た夢」

藤の花

あなたは、ここの宮司でした

3月27日、「香良洲神社百十周年記念祭典」を終えて、夜7時ごろ、自宅に帰りつきました。

車の荷物を片付けて、時計の針が10時を回ったところで眠りにつきました。
祭典を無事に終えた安堵感と疲れのため、そのまま深い眠りに落ちました。

気が付けば、私は香良洲神社の参道に立っていました。

すると、私の右横に姿形がかすんではっきりしませんが、とても高貴な空気をまとった人影らしきものが急に現れてポツリとこんな事を言いました。

 

「あなたは、ここの宮司でした」

 

ただ、その一言だけで、すぐに次の場面に移り、香良洲神社入り口の鳥居の前にたたずんでいました。
ふと、駐車場の隅にある藤棚が目に飛び込んできて、藤の花に目を奪われているところで目が覚めました。

目が覚めても、さっき見た夢のことを鮮明に覚えていました。
こんなにはっきりと夢の印象が強く残っていることは生まれて初めてでした。

翌日、信頼できるある人物にこの夢の話をしたところ、その夢は本当の事だと思います。歴代の宮司の名簿があれば、宮司の名前がわかりますよと言われました。

なんとなく気にかかり、6日ほど経ったころに、香良洲神社の社務所を訪ねました。日ごろから懇意にしていただいている、宮司と相談役に夢の話をしたところ、相談役は快く宮司の名簿を探してくださり、コピーを一部いただきました。
また、相談役に藤の木についてお尋ねしたところ、「私も長く香良洲神社に来ているが、藤の木はここにはないですよ」とのことでした。

それでも、藤の木は香良洲神社のどこかに存在していると、根拠のない自信がありました。
夕方帰宅して早速、信頼できる人物に宮司の名簿をFAXで送りました。直ぐに連絡があり、「あなたの過去世は第〇代〇〇〇〇宮司です」と言われました。
その後、相談役から、ご連絡をいただき「私も気になって神社境内をいろいろ探してみたら、なんと社務所の裏に藤の木が1本ありましたよと」と聞いて、ああやっぱり、と思いました。

4月11日、「香良洲神社百十周年記念祭典」の記念写真を届けに、香良洲神社へ参詣しました。藤の花を確認するために、社務所の裏側にまわると、確かに高く伸びた藤の木があり、高い所に綺麗な花を咲かせていました。
長年、香良洲神社に通っていましたが、この日、はじめて藤の木を見ました。

聖師さまは夢について、「神夢というのは、神が姿を現して、或いは白衣の老人が現れたとか、或いはワシの姿が現れたとかして、そこで色々の事を教える、というようなのが神夢じゃ。霊夢というのはもう少しぼんやりしておって、或いは太陽が出たとか、富士山に登ったとか、或いは鷹が来たとか、そういうような瑞祥の夢を見る時や。それを秩序整然と初めから終いまで憶えているのが霊夢や。(『出口王仁三郎全集』第2巻)」とお示しくださっています。

私は、神さまから大きなご神徳をいただいたと、心の底から感謝の念が湧いてきました。
今回の記念祭典に合わせるように、夢だけではなく、いろいろな事がありました。
今から思えばどれもみな、神さまのお仕組であったように思われます。

 

ある人が私にこんな言葉をかけてくれました、
「あなたが垣内で、草取りをしているところを後ろから神様が見ていましたよ」と

 

私達は、いつでも、どこでも、どんな時でも神さまに見られています。常に省みる心を忘れずに、地道に信仰を積み上げていくことが大事なことだと気づかされました。

 

後日談 香良洲神社宮司のご神徳

その後日談ですが、香良洲神社の宮司もご神徳をいただいたそうです。

それは、息子さんに、「自分の跡を継いで宮司になって欲しい」と、今までことあるごとに話してきたが、ひとつ返事で息子に断られていたと言うのです。

しかし、記念祭典の後の出来事です。
宮司も印象的な夢を見たそうです。
それは、宮司が自分の母親と大喜びで抱き合っていた、という夢だったそうです。
ちなみに、宮司の母親はとても信仰深い人だったそうです。

その夢を見てから数日後、突然、素気無い返事で断り続けた息子さんが、「父親の跡を継いで宮司になる。三年間学んでから跡を継ぐ」と言われたそうです。

宮司は大きなご神徳をいただけたと、大変に喜ばれ、教主さまに心から感謝いたしますと申しておりました。

三重主会 日野澄利