原発事故から学ぶ現実と未来への道
東日本大震災による事故によって、福島第一原子力発電所の原子炉は制御不能となり、放射性物質が漏れ出す状況が止められなくなりました。
これにより、これまで国や電力会社が「安全は確保されている」と言ってきた原発の利点を信じてきた人々に、再度原発の恐ろしさが浮き彫りにされました。
事故から既に10年以上が経ちましたが、福島第一原子力発電所の廃炉作業や除染作業はまだ完了しておらず、依然として収束には遠い状況です。
にもかかわらず、脱炭素の目標を掲げて60年以上にわたる原発の運転が続けられる方針が受け入れられました。
日本のような地震の多い国では、将来的に再び原発事故が発生する可能性を完全に排除することは困難です。核廃棄物の処理や最終処分場の問題もまだ解決されていない現状です。
放射性物質は自然環境や生態系に甚大な悪影響を及ぼし、人間だけでなくすべての生物の生命を脅かします。
世界で唯一の被爆国として原発事故を経験した教訓を踏まえて、自然の力を活用した本当に安全で安心なエネルギーの開発と利用に舵を切る必要があります。
同時に、一人ひとりが自分自身の在り方や生き方、日常生活の仕方を見つめ直し、物を大切に長く使用し、丁寧な暮らしを心がけることが求められているのではないでしょうか。
地球から授かった資源である火・水・土・空気に感謝し、浪費せずに賢く利用する努力をすることが、私たちが地球上のすべての生命を守る社会を築いていく上で大切なステップです。
神霊原子と電気
宇宙間には「神霊原子」と呼ばれるものが存在します。また、これを「霊素」とも「火素」とも呼びます。「火素」は万物の中に含まれており、空中にも多く存在しています。
また、「体素」と呼ばれるものもあり、これは単に「水素」とも呼ばれます。「火素」と「水素」が相互に結合することで、「精気」と呼ばれるものが宇宙に発生します。
精気は電子から生まれ、電子は発達して宇宙間に電気を生み出し、すべての物事の活動の原動力となります。
これらの霊素と体素を神界では「高御産巣日神」と「神御産巣日神」と呼びます。
これらの神霊から、今日の学者が言う電気が発生し、宇宙に動力、静力、解力、凝固力、引力、弛緩力、合流力、分散力の八つの力が完成し、大宇宙と小宇宙が形成されました。
電気とは、前述のように宇宙の霊素や体素から生成されるものです。しかし、この電気を過剰に生産することで、宇宙の霊妙なる精気を無駄に消耗させてしまい、その結果、反対に邪気を発生させて宇宙の精気を減少させてしまいます。
その結果、人間や他の生物たちが脆弱になり、精神的にも退化してしまいます。さらに、このような邪悪な気が宇宙に充満すればするほど、空気は濁り、悪病や害虫の発生が増加します。
【大本のお示し】
△天津罪 天然自然に賦与せられたる水力、火力、電磁力、地物、鉱物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、いはゆる積んで置く罪、包んで置く罪なり。宝の持腐れをやる罪なり。従来は文明だの進歩だのといつたところが、全然履違ひの文明進歩で、一つ調子が狂へばたちまち飢餓に苦しむやうなやり方、現在、世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間がいかに天津罪を犯してゐるかが解る。
神諭に「結構な田地に木苗を植ゑたり、色々の花の苗を作りたり、大切な土地を要らぬ事に使うたり致し、人民の肝腎の生命の親の米、豆、粟を何とも思はず、米や豆や麦は何程(いくら)でも外国から買へると申してをるが、いつまでもさう行かぬことがあるから、猫のをる場にも五穀を植ゑ付けねばならぬやうになりて来るぞよ。みな物質本位の教であるから、神の国には神国の世の行り方に致さして、モーぼつぼつと木苗も掘り起させるぞよ』とあるなどは、実に痛切骨に徹する御訓戒である。
(中略)
また現在人士は電力、火力、水力その他の利用にかけて、よほど発達進歩を遂げた心算(つもり)でゐるが、一歩高所から達観すると、利用どころか悪用ばかり、間接または直接に人類の破滅、天然の破壊に使用されぬものが幾何(いくばく)かある。是等(これら)の点にかけて現在の人士は、いはゆる知識階級、学者階級ほど血迷ひ切つてゐる。天津罪の犯罪者である。
△畔放(あはな)ち 天然力、自然力の開発利用の事。畔(ア)は当字(あてじ)にてアメを約(つづ)めたものなり。田の畔を開(はな)つなどは単に表面の字義に囚はれたる卑近の解釈である。
△溝埋め 水力の利用を指す。埋めには補足の義と生育の義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子(たね)を地にうめる、孔(あな)をうめる、鶏が卵をうむなどを参考すべし。
△樋放ち 樋は火なり。電気、磁気、蒸気、光力等天然の火力の開発利用を指す。
△頻(しき)蒔き 山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。頻(シキ)は、敷地のシキなり、地所なり。蒔きは捲きなり、捲き収めるなり、席巻(せきけん)なり、遊ばせて置かぬなり。遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲(ごう)然(ぜん)たりし某国の現状は果して如何(いかん)。彼らが世界の土地を横領せる事の大なりしだけ、彼らが頻(しき)蒔きの天則を無視せる罪悪も蓋(けだ)し世界随一であらう。しかしその覚醒の時もモウ接近した。これではならぬと衷心から覚る時はモウ目前にある。イヤ半分はモウその時期が到着してゐる。しかしこれは程度の差違だけで、その罪は各国とも皆犯してゐる。
(中略)
△逆剥 逆(サカ)は、栄えのサカなり。酒などもこの栄えの意義から発生した語である。剥(ハギ)は生剥の剥と同じく開発の義。すなはち全体の義は栄え開くことで、廃物をも利用し荒蕪の地を開墾し、豊満美麗の楽天地を現出せしむることを指す。
△尿戸(くそへ) 宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へること、整頓すること。ヘは開発すること。
△許々太久 その他種々雑多の義。
△天津罪と詔(のり)別て 以上列挙せる天然力、自然物の利用開発を怠ることを、天津罪と教へ給ふ義なり。
(中略)
△高津神の災 天災、地変、気候、風力等の不順は皆これ高津神の業にして、罪過(めぐり)の甚(ひど)い所に起るのである。災は業(わざ)はひなり、所為(しょゐ)なり。鬼神から主観的に観れば一(ひとつ)の所為(わざ)であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度の国祖の大立替に、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、その他八百万の眷属を使はるるのも、祝詞のいはゆる高津神の災である。みな世界の守護神、人民の堕落が招ける神罰である。
(中略)
【大意】人間は神の容器(いれもの)として宇内(うだい)経綸の天職がある。殊に日本人の使命は重大をきはめ、世界の安否、時運の興廃、ことごとくその責任は日本人に係るのである。神諭に「日本は神の初発に修理(こしら)へた国、元の祖国(おやぐに)であるから、世界中を守護する役目であるぞよ。日本神国の人民なら、チトは神の心も推量いたして、身魂を磨いて世界の御用に立ちて下されよ」とある通り、天賦の霊魂を磨き、天下独特の霊智霊覚によりて、天然造化力の利用開発に努めると同時に、他方においては天賦の国の徳、人の徳を発揮することに努め、そして立派な模範を世界中に示さねばならぬのである。しかるに実際は大いにこれに反し、いたづらに物質文明の糟粕(そうはく)を嘗(な)め、罪の上に罪を重ねて現在見るがごとき世界の大擾乱(じょうらん)となつてきた。無論日本人はこの責任を免るる事はできない。
しかしこれは天地創造の際からの約束で、進化の道程として、蓋(けだ)し免れ難き事柄には相違ない。さればこの祝詞の中に「許々太久の罪出む」とあり、また国祖の神諭にも「かうなるのは世の元から分つてゐる」と仰せられてゐる。要するに過去の事は今更悔むには及ばぬ。吾々は現在および将来に向つて、いかなる態度を執り、いかなる処置を講ずれば宜いかを考究すべきである。(『霊界物語』第三九巻 出口王仁三郎著)
宇宙間には、神霊原子といふものあり。また単に霊素とも火素ともいふ。火素は万物一切のうちに包含されてあり、空中にもたくさんに充実せり。また体素といふものありて単に水素ともいふ。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生す。火素水素のもつとも完全に活用を始めて発生したるものなり。この精気より電子生まれ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となるなり。
しかしてこの霊素を神界にては、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)といひ、体素を神御産巣日神(かむみむすびのかみ)といふ。この霊体二素の神霊より、つひに今日の学者のいはゆる電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、つひに大宇宙、小宇宙形成されたり。ニユートンとやらの地球引力説ではたうてい宇宙の真理は判明しない。
物質文明は日に月に発達し、神秘の鍵をもつて、神界の秘門を開きたるごとくに感ぜらるる世の中になりたりといひて、現代の人間は誇りをれども、まだまだ宇宙の真理や科学は神界の門口にも達しをらず。しかし今日は、高皇産霊(たかみむすび)(霊系)、神皇産霊(かむみむすび)(体系)の二大原動力より発生したる電気の応用は多少すすみきて、無線電信や、電話やラヂオが活用され来たるは、五六七(みろく)の神政の魁(さきがけ)として、もつとも結構なことなり。しかしながら物には一利一害のともなふものにして、善悪相混じ、美醜たがひに交はる造化の法則に漏れず、便利になればなるほど、一方にまたそれに匹敵するところの不便利なることが出来るものなり。電気なるものは、前述のごとく宇宙の霊素、体素より生成したものなるが、その電気の濫用のために、宇宙の霊妙なる精気を費消すればするだけ、反対に邪気を発生せしめて宇宙の精気を抹消し、ために人間その他一切の生物をして軟弱ならしめ、精神的に退化せしめ、邪悪の気宇宙に充(み)つれば満つるほど、空気は濁り悪病発生し害虫増加す。されど今日の人間としては、これ以上の発明はいまだ出来てをらず、ゆゑに五六七(みろく)神政出現の過渡時代においては、もつとも有益にして必要なものとなりをるなり。も一歩進みて不増不減の霊気をもつて電気に代へることになれば、宇宙に忌(いま)はしき邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気によりて、世界は完全に治まり来るなり。この域に達するにも、今日のごとき浅薄なるものを捨て、神霊に目醒めざるべからず。大本信者の中には、電気燈を排斥する方々がたまたまあるやに聞けども、それはあまり気が早過ぎるなり。これ以上の文明利器が発明されて、昔の行燈(あんどん)が不用になりしごとくに、電燈不用の時機に電気を廃すればよし。
また宇宙には無限の精気が充満せるゆゑ、何ほど電気を費消しても無尽蔵なり。決して、なくなるといふ心配はいらず。またいつたん電気濫費より発生したる邪気も宇宙無限の水火(すいか)の活動によりて、新陳代謝が始終行はれをるゆゑ大丈夫なり。この新陳代謝の活用こそ、神典にいはゆる祓戸四柱の大神の不断的活動によるものなり。(『霊界物語』第四巻 出口王仁三郎著)
火というものは焦燥であり、急激であり熱烈である。ゆえに、火を用いる文明が発達すればするほど、人間の心もそうなって来るのは当然である。しかも近代文明の発達は、これことごとく火力に負うところであって、それから受けた恩恵も実に莫大なものであるが、一方、それがために次第に人心が焦燥となり、生活が急迫となり、世界に争闘の絶え間がない。これごとごとく火力文明に起因するのである。
火の根源はすなわち太陽である。これによって考えれば、世がかくのごとく乱れてきたのは、これ、太陽があまりハバリ過ぎた結果である。換言すれば、太陽界が混乱におちいった結果である。
これを人間の両性について考うれば、今まではあまりに女がハバっていたのである。ここに女といったのは、肉体をさして言ったので、霊はすなわち火である。
古事記に「伊邪那岐命が御子カグツチの首を十握の剣をもって斬り放ち給う」という真意は、すなわち火力文明を平らげるという意味である。
大本神諭にも「女のハバる世であるから…」云々の諸所にあるのも、けだしここのことである。
この世の根本は、天も地も一滴の水である。水素が真の元素である。黄金よりも白金が貴い理はここにある。
古事記に、赤玉は緒さえ光れど白玉の君が装いにはおよばぬ、という意味の(彦火々出見尊へ豊玉姫が送った)歌が出ているのも、ここのことである。(『信仰覚書』第八巻 出口日出麿著)
『六尺以上の人間の住まつてをつたのは、今よりほとんど三十五万年の昔の事だ。貴方が河鹿峠で帰幽してからは、最早三十五万年を経過してゐるのだ。現界は二十世紀といふ、魂の小さい人間が住まつてゐた時代を超過し、すでに三千年暮れてゐる。現界で言へば、キリストが現はれてから五十世紀の今日だ。世はだんだん開けるにつれて、地上の人間は労苦を厭(いと)ひ、歩くのにも電車だとか、自動車、汽車、風車、羽車(はぐるま)などに乗つて天地間を往来し、少しも手足を使はないものだから、身体はおひおひと虚弱になつて、もはや五十世紀の今日では、コンナ弱々しい人間になつてしまつたのだ。しかしながら、十九世紀の終はりから二十世紀にかけて芽を吹き出した、三五教の教を信じ不言実行につとめ、労苦を楽しみとしてゐる人間の系統に限つて、それと反対に六尺以上の体躯を保ち、現幽神界において、神の生宮として活動してゐるミロク人種もありますよ』(『霊界物語』第一五巻 出口王仁三郎著)
母・三代教主出口直日は次のように申しています。
「お土のご恩を感謝する暮らしを実践し、無限にいのちを育て、すべてを抱擁する〈お土の心〉になって、このこころを広めるために、地道な精神運動を展開し、世界の平和に寄与させていただきたいと願うものです。〈お土の心〉にだれもがなるようになどと申しますと、世界平和(愛善世界)の招来のためには、大へん遠い道のりのように思われましょうが、実はもっとも確実な、従ってもっとも近い道であり、それ以外にはないと信じるものでございます」と。
環境問題といえば自然破壊ばかりに思いがちです。教祖出口王仁三郎は「人体は宇宙の縮図であり小宇宙である」と示しています。この教えから申せば、まだ温かい肉体から臓器を摘出するという脳死臓器移植や、すでに生命の宿っている受精卵を破壊するES細胞の研究なども大きな環境破壊だと思います。従って、人の命を犠牲にし、人の体をモノ同様に扱う今日の医科学のあり方に対して大きな憤りを感じます。今根本的な反省がなされないと世界は大変なことになってしまいます。(中略)
脳死臓器移植や遺伝子組み換え、クローン技術の開発などは、自然環境の破壊と同様に大きな環境破壊です。人間が〈名利〉や〈欲望〉を追い求めた結果であり、人間として越えてはならない一線を越えてしまったものです。これは、人間の傲慢な思い上がりであり、神意(宇宙の意志)を忘れた〝科学の暴走〟というほかはないと思います。本当の科学とはこの世をお造りくださったまことの神の意志に従ったものでなくてはならないと思います。
宗教には人類と世界を救う使命があります。人類と地球の永遠の長生のために、私たちにはもはや失敗は許されません。今こそすべての宗教は今日の〝科学の暴走〟を心から戒めるとともに、私たちの生命を守り育ててくださる大地のご恩に感謝を捧げ、神意(宇宙の意志)に従うまことの生き方に帰るよう共に祈り、共に活動し、力を合わせるべきときではないでしょうか。(『教主御教示集』出口聖子四代教主)
東海教区特派宣伝使 前田茂太