1.真の信仰とは
真の信仰とは、心の底から神を理解し、神を愛し、神を信じ、かつ死後の生涯を固く信じて、神の御子たる本分を尽くし、何事も神第一とするところの信仰である。
2.真の信仰生活とは
①霊界を知って現界に生きる
霊界の存在を知り、霊界の状態、特に天界の状態を知ってこそ、現界をいかにいきるべきかが了解される。真の信仰生活の姿が了解される。
・人生における一大問題は死後の世界の有無に関わる。
・生前に死後の備(そな)へのなき人は死期せまるとき無限の悔いあり。
・人間の永遠(とわ)の生命(いのち)の天国を思ひてこの世に善きことをなせ。
②霊界の真相
・高天原の天国に上るものは、地上にある時その身内に愛と信との天国を開設しおかなければ、死後において身外の天国を摂受することは不可能である。
・神の子神の宮たる人間は現実界において善をいい善を思い、そして善を行い主神を愛して主一無適の信仰に生き、永遠無窮の安楽国をみずから開拓せなくてはならぬ。これ人生に信仰のもっとも必要な所以である。
・天国は、すべて地上における人間としての最善を尽くし、よく神を信じ、神を愛し、天下公共のために善事を励みたる人々の境遇である。
・愛善の道に進めば天国に真信さとれば霊国にゆく。
・天国は愛と善との世界なり地上の善事は愛善の徳。
・愛善の徳に充ちたる魂(たま)なればみな天国に籍をおくなり。
・信真の光に住める魂(たま)なれば死後霊国のエンゼルとなる。
・へだてなく人を慰(なぐさ)めいつくしむ清き心は神にぞありける。
・とこしへに朽ちぬたからは皇(すめ)神(かみ)の道に尽くせし誠なりけり。
3.神と俱にある人
人間は永遠の生命と永遠の安楽とを与えられて世に生まれ、大なる神業をもって、神の御用のために出てきたものであることを覚らねばならぬ。それはただ神を知ることによってのみ得られる人生の特権である。
4.生活態度、心掛け
・誠をつらぬく者、口と心と行いと違わぬ者でないと、此の神の御用は聞けんぞよ。誠を貫くものでないと、神の御取次は出来んぞよ。我が身が可愛いような事では、此の取次は出来んぞよ。誠を貫く御方が出来てこんと、斯の御道(おみち)は拡(ひろ)まらぬぞよ。
・慢心いしたら綱を切る、御用を命(さ)す人(もの)、調査(あらた)めて在るぞよ。何程神が綱を掛けた因縁の身魂(みたま)でも、慢心致したら綱を切られるぞよ。
・小さい、現界的の目前のことばかりに執着せずに、大きい、生死を超越した心になって、何ごとも惟(かん)神(ながら)にまかして、いかなることに対しても感謝をささげつつ、未来を楽しみに暮らさねばならぬ。謙虚な無邪気な心で、周囲を、つとめて、広くにぎやかに、あたたかく開拓することを忘れてはならぬ。
・道の栞:知恵あり、信仰あり、徳あるものは、どことなく穏(おだや)かにして湯のごとし、真綿(まわた)のごとし。神に喜ばれ人にしたわれ、ついにはその身を知らず知らずの間(ま)に高きものとせられん。
5.四大主義
不変の真理の生き方、自力と神の他力との結合でなし得る。
①清潔主義:物質的なものだけでなく、霊的な面、心の面も含めた心身(霊体)の不断の修祓。自分の想念・心、言葉、行いを深く省みることにより、心を清めること。神を信じ、神のお力により、自分を清めていくこと。
②楽天主義:神様を知って、神様におまかせをして最善を刹那刹那に尽くすこと、過ぎ越し苦労や取り越し苦労はしないこと。心配ぐらい人間にとって毒になるものはない。信仰的刹那主義。安心立命というものは神を認め、神とともに歩く形においてのみ認められるのであります。
③進展主義:進展は神慮であり、神はより完全へと絶えない進展、絶えない生成化育をとげている、人間も永遠の生命をいただいており、よりよい御霊へと永遠に進展せねばならない。
④統一主義:中心帰向の調和相、神を中心に統一和合
6.私の手帖
『教えを信じただけでなく、身をもって行うこと、これに日々打ち込むことによって、私たちは、初めて神界の籍にはいることが出来るのです。神の教えと結ばれた日々を求めてこそ、永遠の栄えに入り、神の家に住まわしていただけるのです。どうしても意識的にも是が非でも教えをふみ行うことに努めなければなりません。日々の自分の生活の中で教えをいただき、生きてゆく行動の中に、神さまを拝ましていただかなくてはならないと思います』
『この大本は世界のかがみを出すところ、と示されておりますが、神さまのお言葉を世に伝え、みろくの世を実現さしていただくご用に仕えようとする私たち自身が、まず、自分の心の中に、生活の上に、みろくの世のすがたを築いて「あれでならこそ」と世の人々にも映るようになりたいものです。』
7.五代教主さまのお言葉
『邪霊の入る隙を作らぬよう心に不平不満を持たず、やさしく、あたたかく、相手を思いやり、礼儀正しく、心を一つにそろえて、ひとりひとりが責任をもって、み教えの真の実践リーダーとならさせていただくことこそ、信徒の使命ではないでしょうか。』
名古屋分苑 山田謙三