「家庭から始まる世界平和への道」

大本万祥殿正面の景色

信仰と生活の一体化

「信仰」と「生活」は密接に結びついており、同時に営むことが不可欠です。これらは切り離せない要素であり、望ましい信仰の在り方は日常生活と深く結びついていると考えられます。
家庭内の調和は、信仰と生活を一体化させる上で極めて重要な役割を果たします。

夫婦関係において、真の愛情と相互の理解が欠かせません。この世界は、真の愛情と相互の理解がなければ孤独なものとなります。
はじめから理想的な夫婦像は希少であり、真の愛情と理解を築くには時間と努力が必要です。
夫婦はお互いに向き合い、日々の努力を積み重ねることで絆を深めていくことができます。

幸福な家庭や信仰の実践は、理想を追求するだけでなく、身近な場所から始めることが肝要です。世界平和は、個々の家庭から出発し、次第に世界全体に広がっていくものです。

家庭内の調和を大切にし、それが次なる平和への礎となることを忘れないようにしなければなりません。

家庭を平和に保つためには、信仰がその基盤となり、家族の結びつきを強化することが欠かせません。家庭内の調和が保たれることで、子どもたちにも良い手本を示し、次世代にもこの価値観を伝えていくことができます。

私たちは日常の中で信仰と生活を調和させ、家庭内の愛情と理解を育み、その波及効果を通じて世界平和の礎を築いていく使命を担っていると言えます。

神さまから授かった存在として、子どもを育てる重要性

人間は、神さまの偉大な働きによってこの世に生まれてくる存在です。そのため、自分の子供であっても、神から預かった特別な存在として理解することが重要です。

自分の子供を神さまからの贈り物として考える時、その重要性を決して軽く見過ごすことはできません。

子どもたちは将来の世代を担う存在であり、その育成には大きな責任が伴います。
子どもたちが誠実で幸福な人生を歩むように導くことは、自身の魂の成長を促進するだけでなく、社会全体の向上にも寄与することになります。

胎内記憶の研究で知られる池川明先生は、生まれる前や胎内にいる時から記憶があるとされる「胎内記憶」に関して、子供たちは「ママやパパが大好きで、役に立ちたくてこの世にやってくる」と述べています。

 

もし、自分の意思で身体やおかあさんを選べるなら、健康な身体で、恵まれた環境に生まれてきたいと思うのが世の常です。誰もが美人でスタイルが良く、お金持ちの家に生まれたいと思っても不思議ではありません。
でも、紛争や飢餓、貧困に苦しんでいる人のところにも赤ちゃんは生まれてきます。先天性の障がいや病気を持って生まれてくる赤ちゃんもいます。
どうしてでしょう?
子どもたちは、あえて過酷な人生を選び、勇気を持ってチャレンジしてくるのです。
ある子どもは、「おかあさんを助けてあげたいから」と言い、ある子どもは、「このおかあさんと一緒に人生を歩むことで、おかあさんにしあわせを届けることができるから」と決意を持って、この世にやってきます。
こうした子どもたちに選ばれたおかあさんたちの人生は、決して平たんではありません。「産まない方が良かったのではないか」と悩み苦しみ、環境を恨むこともあるでしょう。障がいや病気を持って歩む人生の過酷さを嘆く人も少なくはないでしょう。
でも、「この子のおかげで出会えた仲間がいる」「この子が生まれてきてくれたから、人間として成長できた」と語ってくれるおかあさん、おとうさんも少なくありません。
日本には、障がいを持って生まれた赤ちゃんを「観音様の生まれ変わりと考える習慣がありました。観音様は、救いの求めに応じて姿を現すとされる慈悲深い菩薩です。
障がいのある人は、さまざまな状況下で周りの人の助けを必要とすることがあるので、身近に障がい者がいると、人は自然に利他行に励む機会を得ることができます。
仏教の修行の中でも、最も重要だとされる利他行を、私たちが自然におこなえるようにと、観音様がお姿を変えてこの世にやってきたと考えた日本人は、とても深い知恵を持っていたということです。
自分自身のことは後回しにして、他者に尽くすことは簡単ではありません。功徳を積んで魂を磨き上げることも、そうできることではありません。観音様は、そんな私たちのことをよくご存じで、障がいのある姿となって私たちの前に現れ、私たちを地域共同体の中で自然に利他行に励むことができるようにと導いてくれているのです。
「自分で身体を選んで生まれてきた」と語る赤ちゃんは、人々に功徳を積ませる役割を担っているということです。(池川)(『人は生まれ変われる』池川明・大門正幸(ポプラ社、2015)

子どもたちはそれぞれの使命を持って生まれてきます。そして、自分の使命を果たす前に、まずは親をしあわせにしようとがんばります。親をしあわせにしたいとがんばって成長しているうちに、多くの子どもは自分の使命を忘れてしまいます。
だから、大人たちは子どもの使命を一緒に探してあげてください。子どもの言葉に耳を傾け、子どもたちがこの世に生まれてきた目的を引き出してあげてください。
子どもがいたずらや悪いことをするのは、愛されていると感じられないからかもしれません。悪いことだとわかっているのに怒られるようなことをするのは、怒られることで愛されていると確認したいからかもしれません。
子どもは、おかあさんを選んで生まれてきます。魂の対話を通じて子どもとの縁や絆を確かめてみてはいかがでしょう。(池川)(『人は生まれ変われる』池川明・大門正幸ポプラ社、2015)

 

大本のみ教え

「地上天国もみろくの世も、遠いところを願うより、私は、身近に小さくても雛型を、各信者さんの家々に築かれるように願っています。そして、その波紋が大きく世界中に広がってゆくのを願うものです。私は、信仰すればするほど、家業に精出すことをすすめてきました。家の平和を破るような信仰を一番おそれます。」(『寸葉集』第二巻 出口直日著)

家の中にこだわりがなく、賑やかに笑い合いながら、各自が責任を重んじて合うて仕事をしているほど、世に有難いものはない。
相互の雰囲気に暖められ、なぐさめられ、そして励まされ合いつつ暮らしてゆくことほど、人生、幸福なことはない。
(『信仰覚書』第七巻 出口日出麿著)

真の幸福は、お互いが親切にし合うところにある。心から、その人のために思い合うところにある。
とにかく、人間は真に相許した一人を欲しているものだ。その一人がないということは淋しいことに違いない。
愛するから愛されるのであり、愛されるから愛するのである。
敬うから慈しまるるのであり、慈しまるるから敬うのである。
この世の中で、何が幸福といって、相合う魂が相寄りておることに越したことはない。相合う魂とは、男女、夫婦、親子、兄弟、友達の如何を問わず、年齢の長短を論ぜず、思想、境遇の差をいうのではない。(『信仰覚書』第二巻 出口日出麿著)

霊統のそろった一大家族ならば互いに意気が合うので、一団体として活動する方が、より大なる便宜と愉快がある(『信仰覚書』第一巻 出口日出麿著 )

一個の男と女は同権であるが、夫婦の場合には戸主として一家を代表するのは男子である。ゆえに、夫唱婦随でなくてはならぬ。もし一家に二人の主権を主張するものがあれば、かならずその家は分裂する。(『信仰覚書』第七巻 出口日出麿著)

夫婦の間に真の愛情と充分なる理解とがなくては、この世は心細いものである。最初から双方に理想的な夫婦は滅多にない。金剛不壊的愛の塔は、お互いが長年月にわたって営々として作り上げるべきものである。(『信仰覚書』第七巻 出口日出麿著)

その律法は内面的には、「省みよ。恥よ。悔い改めよ。天地を畏れよ。正しく覚れよ」の五戒律であった。また外面的の律法としては、「第一に、夫婦の道を厳守し、一夫一婦たるべきこと。第二に、神を敬ひ長上を尊み、博く万物を愛すること。第三には、互いに嫉妬み、誹り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること」等の三大綱領である。(『霊界物語第』二巻 出口王仁三郎著)

『―前略―天国の婚姻は、すべて霊的婚姻ですから、夫婦は密着不離の情態にあるのです。ゆゑに天国においては夫婦は二人とせず、一人として数えることになってゐます―後略―』(『霊界物語』第四十七巻 出口王仁三郎著)

すべて人のこの世に生まれ来たるものは、うるわしき神の心と、神の太き御功績によりて、生まれ来るものなり。
ゆえにわが子にしてわが子にあらずと知るべし。
わが子にしてわが子にあらず、神の御子たることを悟らば、決してわれの生みたる子なればとて、おろそかにすべからず。
神に仕うる心にて、その子をやしなわざれば、神の御心にそむくものとなるべし。(『道の栞』 出口王仁三郎著)

かかる猛獣でさへも寂しいときには力になるものを、いはんや万物の霊長たる人においておやだ。アヽ世界の人を悪んだり、怒らしたり、侮ったり、苦しめたり、人を何とも思はず日々を暮らしてきた自分は、何としたもったいない罰当りであったのか、たとへ仇敵悪人といへども、人は神である。否人ばかりではない、一切の動物も植物も、皆われわれのためには必要な力であり、頼みの杖であり、神の断片である。
(『霊界物語』第一巻 出口王仁三郎著)

三千世界の事を、さッぱり変えて了うのであるから、一番に夫婦の事から変えて了うぞよ。此の世に夫婦というものは、因縁の深いものであるぞよ。御魂の因縁性来を調査めて、この霊魂と彼の霊魂が夫婦という事に、縁を結びて、又児に成る霊魂を授けて、児の身魂を親に世話させるのも、因縁の深い事であるぞよ。(『おほもとしんゆ』第二巻)

いとしわが子し笑みて迎えば
なえし魂いまぞまろし
家は安けし夕餉のけむり
栄えの色のひた立ちのぼる
外は冷たく夜は更けたれど
桃色こめて奏づるまどゐ
窓に洩れ来る月の光
われらに一つの隠れ処守れ
『信仰覚書』第二巻 出口日出麿著

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太