「大本開祖伝」に思う

大本神苑

開祖さまのご生涯は、赤貧と艱難辛苦の連続の生活の中で、最後まで誠一筋を貫かれ、国祖大神様が神懸かりされるという奇跡のご生涯であり、涙なしには読むことができません。大本信徒必読の書であると同時に、世の中の多くの人にお配りして読んでいただきたいものだと思います。

開祖さまは、ある時ただ一度、さびしげに石臼に半身をもたれ、じっと首を垂れていられたことがありました。私たち子供に明日はどうして食べさせてゆこうかという悩みであったのです。家計を省みず極貧の原因をつくり、全身不随で手数ばかりかかる病人の夫政五郎に対しても、心の限りをつくしてお世話され、「天にも地にもかけがえのない唯一人の良人をなくし、せめてもうすこしお世話がしたかった」となげかれたそうです。

そして国祖大神さまが神懸かりしました。

「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ、、、三千世界の立替え立直しを致すぞよ。万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申したことは、一分一厘違わんぞよ。」

この明治25年旧正月の初発の神勅は、現実の世の中、人類のありさまと、神の実在を宣言され、神の壮大なご意思が短い言葉で端的に余すところなく述べられた、奇跡的な名文であり、これを読めば、神を信じないという人も神の実在を感じることができることと思います。

私たちは、この初発のご神勅を胸に刻み、日々祝詞のように唱えることによって、神のご守護を身近に感じ、神の道を歩んでいけると信じます。開祖さまの願いは「誠の人」でした。立派な変貌を遂げる神苑の姿を、聖師さまは開祖さまのご意志を背負いつつ、「ここも大本になりました。ここも大本になりました」と、神苑内を案内されました。

開祖さまは聖師さまに心から感謝されましたが、聖師さまが去られると梅田やすさんに小声で「おヤスさん、この大本がなんぼ大きくなっても私は少しもうれしくありません。一人でも誠の者が増えてくれることを待っております」と述べました。

開祖さまの願いは、神苑や建物の外見の整備ではなく、誠の人が一人でも増えることでした。聖師さまは開祖さまを「遂に大神の聖霊に満たされた地上唯一の大予言者」と称されています。開祖さまは、誠の人が増えることを願い、その誠実さを実践して示しています。

開祖さまは、深い慈愛の心を持ち続け、「不言実行」「天地のご恩」「他者への思いやり」「質実剛健」「大難を小難に、小難を無難に」をひたすら祈り続けるといった「無私」の心をもったお方でした。

 

神の倉分所 山田謙三