播州高砂沖の神島
播州高砂沖の神島は、高砂沖合の南西に位置する、周囲約4キロの無人島です。地元では上島、ほうらく島、牛島とも呼ばれ、古くからさまざまな神秘的な伝説が伝えられてきました。
大本ではこの島を「神島」と呼んでいます。
『霊界物語』第22巻第18章には、言依別命の命を受けた初稚姫と玉能姫が、この島に如意宝珠と紫の珠を埋蔵した由来が記されています。
この神宝は、大正5年9月8日に出口王仁三郎聖師によって回収され、金竜海(綾部 梅松苑)の大八洲神社の岩戸の中に仮遷座されたとされています。
艮の金神の妻神 坤の金神(豊雲野尊)の鎮まる島
大正5年2月、横になっていた出口王仁三郎聖師の霊眼に、坤の方向の海上に浮かぶほうらくを伏せたような島影が見えました。その日から、出口王仁三郎聖師の右目の下が疼き始め、押さえると石のような固まりがあることがわかりました。
その固まりは次第に下降し、48日目の4月13日には、右の歯茎から舎利(しゃり)が現れました。その形は霊眼に見えた島の形そのままでした。
この間、出口王仁三郎聖師に対して「高砂沖の一つの島、一つの松、松の根元に三千世界の宝がある。三千年の塩浴みながらただ一人で世を憂い、島にひそみて守り抜け」という神示があり、信者にこの島を探すように命じました。
その結果、6月になって播州沖の上島(その形状からほうらく島、牛島とも呼ばれる)がそれであろうと報告されました。
神示に従い、この島に鎮まる坤の金神(艮の金神の妻神)の分霊を迎えるため、6月25日に一行63名が渡島しました。この神事において、出口王仁三郎聖師は坤の金神に扮しました。
そして、6月28日に帰綾後、竜門館(現在の綾部 梅松苑 金明水の井戸の辺りにあった建物)に神霊を奉迎し、その後再び女神姿になり、なおと対面したと伝えられています。
また、同年9月8日には、出口王仁三郎聖師は幹部5名とともに渡島し、神宝を受け取り、10月4日(旧9月8日)には、81歳の出口なお開祖と一行百数十名が渡島しました。
その翌日、出口なお開祖は、出口王仁三郎聖師の霊魂がみろくの神の身魂であるという神示を受け、非常に驚きました。
この一連の神島詣でを大本史では「神島開き」と呼んでいます。
出口王仁三郎画 豊雲野尊
神島開き大正5年3回の渡島
1回目:6月25日(旧5月25日) 神霊の奉迎
2回目:9月8日(旧8月11日) 神宝を拝受
3回目:10月4日(旧9月8日) 出口なお開祖に神勅「出口王仁三郎聖師の霊魂がみろくの神の身魂」
大本のお示し
大正五年の 旧五月五日には、変性女子の身魂に、昔から永らく世に隠れて守護を致しておりた、坤の金神の住居を致した播州の神島が開かしてあるが、人民からはさほどにもない御用のようにあれども、神界では大変な神業(こと)でありたぞよ。
朝日の直(ただ)刺す夕日の日照らす高砂沖の一つ島一つ松、松の根本に三千世界の宝いけおくと、昔から言い伝えさしてありたが、今度は瑞の御魂の肉体を使うて、三千世界の宝を掘り上げさしたぞよ。その宝と申すのは、この世を水晶の松の代、神世として治め遊ばすミロクの大神様のことでありたぞよ。
その年の九月九日に艮の金神 国常立尊 が、変性男子の身魂 出口直に憑りて、二代三代を引き連れ艮(とど)めを刺して参りたのも、深い経綸(しぐみ)のあることぞよ。この因縁もモウ少し致したら分けて見せるぞよ。
大正五年辰の年五月午の月の八日に、変性女子が全部(すっくり)と現れて、女神の姿になりて、大本へ参りた折、出口直は変性男子国常立尊と表れ、海潮は変性女子豊雲野尊と現れて、昔の神代から沓島と神島へ別れて落ちておりた夫婦の神が、 竜宮館の高天原で再会(であい)の祝いに盃がさしてあろうがな。その日から変性女子の身魂には坤の金神と 豊雲野尊が守護致したから、段々と緯(よこ)の御用が表(あらわ)れて、ボツボツと神界の経綸(しぐみ)ができかけて来たのであるぞよ。(『いづのめしんゆ』)
五六七神様(みろくさま)の霊はみな上島(かみじま)へ落ちておられて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、五六七神(みろくのかみ)の御霊(みたま)で、結構な御用がさしてありたぞよ。ミロク様が根本の天の御先祖様であるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ。(略)今度上島へ坤の金神の身魂がお参りになりたについて、変性女子の御苦労な御用の事実を顕わすぞよ。変性女子が現れると、坤の金神どのの神力が出るから、誠の心で願えば何事でもすぐに聞き済みあるぞよ。(略)何かの時節が参りたから、これから変性女子の身魂を表に出して、実地の経綸(しぐみ)を成就いたさして、三千世界の総方様へ御目にかけるが近よりたぞよ。出口直八十一歳の時の筆記(しるし)。(『おほもとしんゆ』第六巻)
「私はむかしから筆先以外の本は、読ましていただいたことも、また他の方面のことを聞かしていただいたこともないのですが、イザナギノミコト、イザナミノミコトという名でおがんでいます神様が、尉と姥のご夫婦の神様のことであると思っています。又これは艮の金神さま、坤の金神さまのお活躍であります。これは私がじっと考えてきましたことであります。イヅノミタマ艮の金神国常立之尊さまは丹後のメシマに、ミヅノミタマ坤の金神豊雲野尊さまは播州の高砂沖の神島に世をしのんで、かげのご守護になっていたのでありますが、時節がきて綾部の新宮坪の内、元のお屋敷にお帰りになることになったのであります。(中略)
それから、播州の神島にお宮がたって、初めて教祖(開祖)と先生(聖師)がいっしょに参拝された時のことであります。この時に初めて教祖は先生がミロクの神さまであるということを神さまから聞かされなさって、非常に驚かれたのでありますが、祭典が終わって、参拝したものが舟着場のところに降り、そこで腰をおろして海の景色を眺めていますと、山の上から松の枝が二本降ってきました。これは先生が折って投げられたのでありますが、誰もなんのことか分からんので、うっかりさわって叱られでもしたらと言うので、そのまま浜の砂の上に落ちてきたままにしておきました。その時そこに遊んでいた私の娘の姉の一二三と妹の尚江が、ちょこちょこと出てきて、その松の枝を一本ずつ拾ってそこを掃きだしました。尚江がたしか三つだったと思いますが、それをじっと見ておられた教祖さまが、
『おすみや、これを何と思う。こどもがしとるのでない、神さまが実地をみせていなさるのやわいな』と申されましたが、この時、一二三と尚江が尉と姥の型をしたのであります。」(『おさながたり』 出口すみ子著)
男嶋女嶋に艮の金神様が落ちておられたので、坤なる神島には坤の金神様が落ちておられたということになるが、北海道の別院のある芦別山にはまた艮の金神が落ちておられたといい、その坤なる喜界ケ嶋の方には坤の金神が落ちておられたといい、何だかわけが判らないというが、これはみな真実で、また型である。綾部から言えば男嶋、女嶋と神島、日本からいえば北海道と喜界ケ嶋、世界からいえば日本が艮で西のエルサレムが坤である。三段の型のあることを取り違いしてはならない。(「玉鏡」出口王仁三郎著)
ここに国祖大神は、妻の身に累を及ぼさむことを憂慮したまひて、夫妻の縁を断ち、独り配所に隠退したまひけり。国祖はただちに幽界に降りて、幽政を視たまふこととなりぬ。されど、その精霊は地上の神界なる、聖地より東北にあたる、七五三垣の秀妻国にとどめさせたまひぬ。諸神は国祖大神の威霊のふたたび出現されむことを恐畏して、七五三縄を張り廻したり。ここに豊国姫命は、夫の退隠されしその悲惨なる御境遇を坐視するに忍びずして、自ら聖地の西南なる島国に退隠し、夫に殉じて世に隠れ、神界を守護したまひける。ここに艮の金神、坤の金神の名称起れるなり。豊国姫命が夫神の逆境に立たせたまふをみて、一片の罪なく過ちなく、かつ、いつたん離縁されし身ながらも、自ら夫神に殉じて、坤に退隠したまひし貞節の御心情は、実に夫妻苦楽をともになすべき、倫理上における末代の亀鑑とも称したてまつるべき御行為なりといふべし。
アヽ天地の律法を国祖とともに制定したる天道別命および天真道彦命も、八王大神のために弾劾されて、ここに天使の職を退き、恨みを呑みて二神は世界の各地を遍歴し、ふたたび身を変じて地上に顕没し、五六七神政の再建を待たせたまひける。(『霊界物語』第四巻第四十五章 出口王仁三郎著)
東海教区特派宣伝使 前田茂太