「国祖・国常立尊」

雪の金竜海

地上神界の主宰神

国祖・国常立尊は、地上神界の主宰神でこの太陽系宇宙の親神でしたが、ご退隠されて艮の金神と呼ばれるようになりました。
国祖・国常立尊は幾十億年もの間、誠一筋を貫き艱難辛苦して、今日見られるような大地を形成されました。

この地上にあるものはすべて、国祖の生み育てたものであり人類は日々万事にわたり国祖・国常立尊の計り知れない恩恵を享受しています。

 

国祖国常立尊出口王仁三郎筆『国常立尊神像』

 

大国常立大神と国祖・国常立尊

主の神・大国常立大神と国祖・国常立尊、この二神は神格においては本質的に同一神で所属と神格そのものは一体ですが、お働きにおいては差異があります。

大国常立大神(またの名を天御中主神)は、宇宙一切を主管する独一真神です。
国常立尊は、大国常立大神の直接の分霊分身で、この大地(地上神界)を統治される主宰神です。
また、国常立尊は、働きによって違うご神名で顕現されるため、大本神諭では、さまざまなご神名で顕現されます。

 

無限絶対無始無終に在しまして霊力体の大元霊と現はれたまふ真の神は、只一柱在(おは)す而己(のみ)。これを 真の神または宇宙の主神といふ。汝等、この大神を真の父と為し母と為して敬愛し奉るべし。天之御中主大神と奉称し、また大国常立大神と奉称す。(『霊界物語』第六十三巻 出口王仁三郎著)

 

最上天界すなはち高天原には、宇宙の造物主なる大国常立大神が、天地万有一切の総統権を具足して神臨したまふのであります。そして、大国常立大神の一(また)の御名を、天之御中主大神と称へ奉り、無限絶対の神格を持し、霊力体の大原霊と現はれたまふのであります。この大神の御神徳の、完全に発揮されたのを天照皇大御神と称へ奉るのであります(『霊界物語』第四十七巻 出口王仁三郎著)

 

天足彦と胞場姫

国祖・国常立尊が、無限絶対の大神力を発揮し、大地を創造されたとき、清く軽いものは日月星辰となり、重く濁ったものは大地と別れ、このような中で、最初に人体の祖として天足彦と胞場姫の夫婦が誕生しました。

宇宙間には、善と悪、美と醜の相反するものが存在します。
しだいに邪気が凝って妖魅が現れ、霊主体従(魂、精神、良心を主とする考え方)の神木に、体主霊従(われよし)の果実を結びました。神さまは胞場姫に「この果実を食うべからず」と命じました。
しかし、胞場姫はそれを採って食べ、天足彦にもすすめ食べさせてしまいました。

これにより地上の世界は神さまの教えに背く体主霊従に傾き、罪悪が盛んに行われ、天地は混沌として各地で紛糾・争乱が相つぎ、ほとんど収拾できない状態になりました。

 

霊能は、吾々に向上、純潔、高雅、正義、博愛、犠牲等を迫る
体能は、吾々に食い度い、飲みたい、着たい、犯したい等、少くとも非道徳的念慮を起さしめ、甚だしきは堕落、放縦、排他、利己等の行為をも迫る(『出口王仁三郎全集』第一巻)

 

また神様が人間姿となつて御活動になつたその始めは、国大立命(くにひろたちのみこと)、稚桜姫命(わかざくらひめのみこと)が最初であり、稚桜姫命は日月の精を吸引し、国祖の神が気吹によつて生れたまひ、国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿の神様である。それよりおひおひ神様の水火によりて生れたまひし神系と、また天足彦、胞場姫の人間の祖より生れいでたる人間との、二種に区別があり、神の直接の水火より生れたる直系の人間と、天足彦、胞場姫の系統より生れいでたる人間とは、その性質において大変な相違がある。天足彦、胞場姫といへども、元は大神の直系より生れたのであれども、世の初発にあたり、神命に背きたるその体主霊従の罪によつて、人間に差異が自然にできたのである。(『霊界物語』第二巻 出口王仁三郎著)

 

天地の律法

天地が混乱状態のときに、国祖・国常立尊は、祭政一致の神政を布くために、まず『天地の律法』をさだめ、霊主体従を基本方針として、天使長に神示を伝え神政にあたらせました。
その結果、地上にも天上にも国祖が理想とする世界が樹立しました。
その律法は内面的には、「反省せよ。恥よ。悔い改めよ。天地を畏れよ。正しく覚れよ」の五戒律です。

《天地の律法》
第一に、夫婦の道を厳守し、一夫一婦たるべきこと。
第二に、神を敬ひ長上を尊み、博く万物を愛すること。
第三には、互ひに嫉妬み、誹り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること。

 

国祖の神政

地を修理固成された国祖は、小アジアのエルサレム(今日の地理ではトルコのエルゼルム)に神都をおき、大地の主宰神として神政を開かれ、八王八頭(八王は国魂の神、八頭は宰相神)の神々を任命し、世界を一体的に統治されました。

大本神諭に大本神業の目標として、
『太古(むかし)の根本(もと)の神世に世が戻るのであるから、末法の世の守護人民は辛くなるから、是迄の遣り方は毫末(ちっと)も用いん世に変わるから、明治二十五年から、五六七様(みろくさま)の世になる迄に、
心魂(こころ)の持ち方を改(か)えて居りて下されと、是程詳細(こまこう)徹底的判明(よくわか)る如(よ)うに書いて知らして在る通りに、吾の心魂之状態(こころ)の違う人は辛いぞよ。』(『おほもとしんゆ』第五巻「大正四年旧七月十二日」)とありますが、これは国祖がこの現実世界に太古と同様の黄金時代を築くことを言われたものです。

 

艮の地・東北にご退隠

再び世が開けゆくにつれて、多くの神人は、わがまま勝手な気風を強め、体主霊従(われよし)を方針とする盤古大神やその系統の神人、および力主体霊(つよいものがち=武力万能主義)を方針とする大自在天神やその系統の神人に邪霊がかかり、地上の神界は混乱を重ね、破局へと向かう様相を呈してきました。
多くの神人は善一筋の厳格な国祖・国常立大神の神政に対して不服を訴えるようになり、また、天の大神にも国祖の隠退を訴えるなど、あらゆる奸策を弄して、国祖に隠退を迫りました。

国祖は地の世界が乱れ、闇の世になったことに責任をとり、自ら隠退を決意されました。

その時、天の大神さまは国祖に、
『悪神の世になると、やがてはこの世は元の泥海になってしまう。そうならないうちに、時期を待ってもう一度世界の主宰神になってほしい。そのときは、自分も地に降りて、国祖の神業を補佐しょう』
という内容を以心伝心に伝えられました。
国祖はこのみ心を汲み、太古の節分の日に自ら隠退し長い年月を陰からこの世を守護されることになりました。
その隠退の方角が東北(艮)であったために、国祖・国常立大神は「艮の金神」とよばれるようになり、また妻神・豊雲野尊は南西(坤)方角に隠退されたので「坤の金神」とよばれるようになりました。

 

『神諭に曰く、「時節には神も叶はぬぞよ」
と、全大宇宙の大主神たる大六合治立尊(おおくにはるたち)の御分身にして、宇宙の大主権神たる国祖国治立命も、時節の力は如何ともすること出来得ざりしなり。至正、至直、至厳の行動は、かへつて多数の神人より蛇蝎(だかつ)のごとく忌嫌はれて、つひには悪神と貶(へん)せられ、祟り神と強ひられ、悪鬼の巨頭艮の金神と名称を付して、大地の北東に居所を極限さるるにいたりたまへるも、神界経綸上やむを得ざる次第ならむか』(『霊界物語』第四巻 出口王仁三郎著)

 

『ここに国祖大神は、妻の身に累を及ぼさむことを憂慮したまひて、夫妻の縁を断ち、独り配所に隠退したまひけり。国祖はただちに幽界に降りて、幽政を視たまふこととなりぬ。されど、その精霊は地上の神界なる、聖地より東北にあたる、七五三垣(しわがき)の秀妻国にとどめさせたまひぬ。諸神は国祖大神の威霊のふたたび出現されむことを恐畏して、七五三縄を張り廻したり』(『霊界物語』第四巻 出口王仁三郎著)

 

男嶋女嶋に艮の金神様が落ちておられたので、坤なる神島には坤の金神様が落ちておられたということになるが、北海道の別院のある芦別山にはまた艮の金神が落ちておられたといい、その坤なる喜界ケ嶋の方には坤の金神が落ちておられたといい、何だかわけが判らないというが、これはみな真実で、また型である。綾部から言えば男嶋、女嶋と神島、日本からいえば北海道と喜界ケ嶋、世界からいえば日本が艮で西のエルサレムが坤である。三段の型のあることを取り違いしてはならない。(『玉鏡』 出口王仁三郎著)

 

 

ご退隠後の地上神界

国祖のご退隠後、地上神界は盤古大神の神政となり、体主霊従(物質主義)、〝われよし〟(利己主義)、〝強いもの勝ち〟(弱肉強食)〝和光同塵〟(※)の施策によって、上げも下ろしもできない物質万能、科学万能、人間至上主義の暗黒無道の地上世界となりました。

国祖は退隠されていた永い歳月の間、陰からこの世を潰さぬよう艱難辛苦して救世の仕組をされ、万全の神策をもって明治25年、再び地上神界の主宰神として大本に顕現されました。

※大本用語として使われている〝和光同塵〟とは、禅語にある和光同塵とは意味が違い、外国からやって来た教えによって神が押し込まれ、仕方なく本来の姿を隠して仏などの姿に身を変え世界を守護していたという意味。
また、日本民族の世界文化受け入れ、外来文化(儒教仏教等)の受け入れという意味を指す。
禅語にある和光同塵とは、仏・菩薩が衆生を救うために本来の姿を隠して、種々の姿となって現れること。
自分の才能や徳を隠して、世俗の中に交じってつつしみ深く、目立たないように暮らすこと。

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太