「神さまに会いたい」
そう言ってその方はわたしの家に来られました。
このありがたい出会いは、約20年ぶりの再会から始まりました。
節分のお祓いを受けていただく
その方とは毎年節分の人型を手紙でおすすめするだけの関係でした。
節分のお祓いも、受けていただいたのはほんの数回ほど。
今年も少し迷いながらも手紙でおすすめさせていただきました。
1月に入ってすぐ、その方から電話がありました。
もう、長いこと電話すらしたことがなかったので電話がつながるか不安だったと言いながら、
「節分のお祓いをお願いできる?」と言われたので、手紙で送りますね、と伝えました。
ところが「来てほしい」とおっしゃるので、マスクと消毒液を持参してお家に向かいました。
ひとしきり思い出話をしたあと、話はしだいに身の上相談になっていきました。
身の上相談と言えば聞こえがいいですが、私はただ話を聞いて思いつくままに返事をしていただけでした。
その後、数カ月間はLINEでのやりとりやお取次ぎをできる範囲でさせていただきました。
祝詞をお渡しさせていただく
お取次ぎや身の上相談もそうそう頻繁にできないので、祝詞をお渡しして「お祈りされるといいですよ」とお伝えし、祝詞奏上に慣れるまでときどき一緒に奏上させていただきました。
その方のお家には産土様の神棚があったのですが、節分大祭の姫だるまをお渡ししたら一緒に神棚に飾って祝詞を奏上されていました。
「祝詞を上げた日は違う」「元気でいられる」と喜びのLINEが度々入ります。
「信者未信者のわけへだてのない神さまなんだね」
「本物の神さまだね」という彼女の言葉に私が力をいただいていました。
それでも心が揺れるときは、電話での相談やお取次ぎをさせていただきました。
頻繁にお会いできない状況になってしまったこともあり、祝詞奏上によるお祈りにもいっそう力が入っていらっしゃったようです。
神さまに会いたい
そのうち、その方からくるLINEの内容があきらかに変わってきました。
天気が良くて幸せだとかおいしいごはんが食べられてうれしいなど、小さな幸せを知らせてくれるようになったのです。
そして、夏のある日電話がありました。
「あなたの家の神様に会いたいから今から行ってもいいですか」
こんな素敵な言葉で家に来たいといった知り合いは今までいませんでしたので、私は静かな感動を覚えました。
訪ねてきたその方は、いろいろスッキリした、モヤモヤしていたことがはっきりして安心したとおっしゃり、
神さまのおかげだからお礼を言いたくて来た、というのです。
彼女は静かに神前に座り敬虔な祈りを、感謝を捧げていました。
私はその姿を見て思わず、ひと膝さがり伺候せずにはいられませんでした。
こんなに厳かな気持ちは久しぶりでした。
そして彼女はゆっくり顔を上げてお宮を見つめ、
「いいね、静かで包まれる感じが。 (信者でもない)私でも助けてくださるんだね」と静かに微笑みをうかべました。
私は言葉もなく聞いているだけでした。
目に見えないご神徳
その方をとりまく環境が劇的に変わったというわけでもなく、問題がすべて解決したわけでもないのに笑顔で話されている姿に、私は涙が出そうでした。
心の向きが変わるだけで、こんなにも幸福度が変わるのだと改めて思いました。
その奇跡を起こしたのは紛れもなく神さまのお力であり、祝詞を奏上して祈ることの素晴らしさをまざまざと見せていただきました。
誰でも大きな悩みを抱えてしまうと身近な幸せも見えなくなってしまいます。
祝詞奏上のご神徳は目に見えないものですが、それはやがて身近な幸せを見せていただけるお力になるのではと感じています。
季節の野の花を美しいと思えるよう、何気ない日常の幸せを感じられるよう日々のお祈りを大切にしたいと思います。
⇓ 神さまの芸術作品であるこの世の美しさ、尊さについてはこちらの記事をご覧ください。
お読みいただきありがとうございました。