「今日をどう生きるか」

海辺の風景砂浜の波と夕日

今ここ

新型コロナウイルスの感染拡大によって、先行きの見えない不安な日々が続いています。こうした不安の日々を乗り越えるには、あまり先のことを考えないで、今日1日、あるいは明日1日くらいまでのことだけを考えて生活してみることです。
私たちを取り巻く状況は刻一刻と変わっていきます。何事も予想通りにはならないのが世の中です。先々の事を心配しても意味がありません。
何事にも必ず終わりが来ます。この状態が永遠に続くわけではありません。
未来への希望を持ち目の前の生活を大切にすることです。

 

今日の生

いかなる世が来るにせよ、われわれの生きているのは、今日の世の中です。たとえ、百日後にどんなことがあるにしても、われわれにとっては、今日という、明日という、明後日という空白を、どうするかということが問題です。今日があり明日があり、それをどうするかによって、示された世界をわれわれは迎えることができるのです。今日を棄てて、われわれに示された世界もないわけです。それでは、今日をどう生きるかということこそ、わたしたちにとって一番大切な問題でしょう。(『私の手帖』「今日の生」 出口直日著)

 

明るい未来を信じて

――(前略)人心の荒廃など世紀末的な現象を呈する現在の状況について、「長い暗いトンネルにさしかかったようなものです」とお示しくださっています。こうした状況の中、信者さんも決してその影響を受けずにはいられないでしょう。特に不況の波は小さくないようです。こんな時代を、どうやって越えさせていただけばいいのでしょうか。
教主 ひじょうに難しいですね、この間題は。何があってもくじけない、必ず先には明かりが見えるんだという気持ちをしっかりと持って、ここは耐えるしかないと思います。
永久に今の状態が続くわけではありません。必ず開ける時がくる、明るい道が見えるようになるんだという先への希望を持つことでしょう。
いくら悲観しても良くなるわけではないですからね。どうせなら、気持ちだけでも明るく持つことです。明るい気持ちを持っていれば、人も寄ってきます。そこから道が開けてくることもあるでしょう。反対に悲観ばかりして暗くなっていたら、人も離れてしまいます。どんなことが起ころうとも、明るい未来を信じ、進んでいくしかありません。いちばん大事なものは、心の持ち方でしょう。
――こういう時こそ、信仰者としての本来の姿をしっかりと持たせていただくということですね。
教主 それと無理をしないこと。絶対無理をしたらいけませんね。商売でもなんでも。一か八かと思い切ったことをする人があるじゃないですか。普通の人は、こういう状況のときは、そんなことはしないほうがいいと思いますよ。地道に、こつこつとですね。
急に良くなってくるとは思えませんが、大本では、社会、経済などすべてが行き詰まった中から開けてくると教えられているわけですから。まさにそういう時代が今来ているんです。
――大きな峠を越えなければ、明るい未来もない。しかし先には必ず明るい未来が開けてくるというのが大本の教えであり、その点はありがたいです。
教主 そうですよ、先が明るいとちゃんと神さまがおっしゃっているのですから。それを思うしかありません。
――それは確言ですから。絶対に、そうなると思います。
教主 毛筋の横幅でも間違ったら神はこの世におらんぞよ、とおっしゃっているのですからね。ただし改心しないといけないと書いてあります。改心しないと人民三分になるんだ、と。とても厳しいですよ。こういう厳しい教えは、簡単には広まりませんね。
――世界も日本も、いろいろと問題を抱えていますが、前を向いて頑張らせていただきたいと思います。
教主 そのためにも、やはり健康がいちばん大事ですね。これから世の中、ますます健康が大事になってくると思います。健康であれば、少々のことは我慢もできますが、体が弱いと、まあどうでもいいわ、ということになってしまいます。元気であること、とにかく毎日健康であること、それが基本です。頭も体も。特に頭はよくなくてもいいんですから、普通であれば。(笑い)
――本年も、信徒一同、こころ一つにして、頑張らせていただきたいと思います。
教主 とにかく、健康に気をつけ、明るく素直に前向きに、そしてまじめに取り組ませていただくということでしょうか。
――ありがとうございました。何か元気が出てきました。(笑い)
(『四代教主御教示集』 出口聖子著)

 

本物だけが生き残る時代

本当はこの新世紀を良くするも、悪くするもみなわれわれ人間の心と行動しだいなのですが。それでも私は、この二十一世紀に神さまの約束されたみろくの世が来ると信じています。ただ、不景気や自然災害、無益な戦、行き過ぎの先端医療はまだ暫くは続きましょう。それに、みながすき放題をしてなにも努力せずに「棚からぼたもち」式に、みろくの世がやってくるものではないでしょう。
二十一世紀は本物だけが生き残る時代に入っていくだろうと思います。
時間をかけて次第に人間そのものは勿論、農業、科学、医療等、すべての分野で諸々のよこしまなものが、淘汰されて本物のみが残っていくように思います。
(『四代教主教主御教示集』 出口聖子著)

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太