「関ケ原の慰霊祭のおもいで ~戦国武将 福島正則現る~」

東首塚慰霊祭で祝詞奏上をする祭祀と祭員

関ヶ原慰霊祭

関ヶ原慰霊祭は今年で25回目を迎えます。はじめた当初は、祭典の日になると、雨や台風に見舞われ、あまりいい思い出はありません。
慰霊祭の場所は「東首塚」といって、関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で「首実検」(討ち取った首がその者の首であるかどうかを確かめる儀式)を行なった場所です。その後、諸将の首を東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれています。この首塚に埋められている戦死者の数は定かではありません。一説には、戦死者は6000人とも8000人とも言われていますが、東西両軍合わせて、12000人という記録もありさまざまです。
現在、「首実検」を行なった場所にはスダジイの古木があり、近くには首洗いの井戸があります。スダジイの古木の前の薄暗い場所で、慰霊祭を行うと、足元からアリがどんどん這い上がってくるのです。霊の見える人に言わせると、落ち武者の霊が這い上がっていると言っていました。今では、周りの環境も整備され、薄暗さもなくなり、アリが這い上がるようなことはなくなりました。

 

戦国武将 福島正則現る

今から、10年ほど前になります。いつものように、慰霊祭も終わり、直会をしていると、岩尾さん(故人)という、80歳近いおばあちゃんが、今日は、福島正則さんがみえたと言うのです。本人が言うには、関ケ原の慰霊祭のときだけ、霊がみえるそうです。岩尾さんは、「福島さんは馬にのって、部下を引き連れて、参拝され、みんなに、よろしくと感謝して、帰られた」と言っていました。
本人が福島正則と名乗ったそうです。岩尾さんは、関ヶ原合戦に参加した武将の名前をご存知ではなく、相手の言うままをわれわれに、教えてくれました。
岐阜には他にも霊がみえる人がいるのですが、どうしても、関ヶ原に来ると、いろんなものが見えるのが嫌で、いまでも参拝は決してされません。

 

福島正則の菩提寺での出来事

この年は、長野県にある皆神山で記念祭典があるので、前日から、岐阜主会でバスをチャーターし、名所、旧跡を訪ねる計画を立て、ある有名なお寺に参拝することになりました。このお寺の門前には、お土産物屋さんがありました。お店に入って、説明を聞くと、ここは、福島正則の菩提寺というのです。福島正則は、秀吉のおかあさんの妹の子と言われ、愛知県(尾張)のどこかにあると思っていたので、長野県と聞いて、びっくりしました。また、この年の関ヶ原慰霊祭に出てきた人だから、2度、びっくりしました。
参拝も終わり、バスに乗り込み、出発しようとしたら、お土産物屋さんのおばちゃんが、このバスの人が買って、お金をもらったが忘れられたといって、ブドウのつつみをバスにもってきてくれました。そこで、みんなに尋ねるのですが、みんなは自分ではないと言うのです。おばちゃんは、いいや、このバスの人だと言い張ります。

それで、福島正則さんのお礼と理解して、みんなで、わけました。

これが、ぼくの関ヶ原慰霊祭のおかげばなしです。

 

岐阜主会 溝口玄