令和3年12月21日。
日本で二年ぶりとなる死刑が執行されました。
死刑が執行された3人のなかには再審請求中の死刑囚もいたそうです。
これに対して、日本弁護士連合会は死刑執行に関する抗議声明を出しています。
ところでOECDの加盟国のなかで、死刑を執行している国は日本とアメリカのみなのをご存じですか?
しかも、2021年の7月にバイデン政権は連邦レベルでの死刑執行の一時停止を発表しました。
州単位では、すでに廃止しているところもあります。
今回は極刑といわれる死刑が次々に廃止になっている現状から、死刑廃止について考えたいと思います。
死刑廃止の実態は
それでは、死刑を廃止している国は実際どのくらいあるのかを見ていきたいと思います。
国際人権団体アムネスティインターナショナル日本によると、死刑執行を実質廃止した国は約140か国、死刑が存置する55か国のなかでも執行しているのは中東、東アジアなどの20か国といわれています。
これまでも世界では、多くの残酷な死刑の歴史がありました。
しかし現在、世界は死刑廃止の方向に流れています。
死刑は犯罪の抑止力ではない
死刑の廃止後、大きく殺人発生率が高くなったということはいわれていません。
死刑には、他の刑罰に比べて特別な抑止効果があるとはいえない、というのが今日の世界における共通の認識です。
引用:アムネスティインターナショナル日本 死刑廃止 – 死刑に関するQ&A
しかも、死刑が行われているアメリカとすでに死刑を廃止したカナダとを比べると、カナダの方が殺人発生率は低いそうです。
死刑廃止論が取り上げられるときに論点になることをあげてみましょう。
- 被害者遺族の感情
- 凶悪犯罪の抑止力としての期待
家族が突然奪われるような犯罪に遭われた方の心情は、はかり知れません。
死を持って償ってほしいと願うのも自然のことと思います。
しかし悪いことをすると死刑になるという事実は、犯罪抑止の効果を期待できるのでしょうか。
被害者家族と死刑
犯罪被害者の遺族としての苦しみをさまざまな方法で発信されている、被害者と司法を考える会の代表、片山徒有(かたやま ただあり)さん。
片山さんは、1997年に当時8歳の息子さんをひき逃げ事件で亡くしました。
その後、被害者と司法を考える会-あひる一会(あひるのいちえ)を立ち上げられて犯罪被害者の支援をされています。
第33回 東京弁護士会人権賞 を受賞された際のインタビュー記事には、被害者家族の心情や受刑者との関わりなどが書かれています。
片山さんの紹介部分にこのような記述がありました。
被害者支援の枠に止まらず,加害者の更生には被害者の苦しみを理解することが重要
引用:東京弁護士会
当事者ではない私が軽々しく言葉にすることははばかられますが、ひょっとしたら「加害者には被害者の苦しみを理解してほしい」というのがご遺族の一番の望みなのではないかと感じます。
犯罪者にはそれ相当の刑罰が必要です。
しかし、一方で「死刑になりたいからやった」「誰でもよかった」というような言葉をいう犯罪者もいます。
このような言葉を聞くたび、犠牲になった方とそのご遺族の心情はいかばかりかと思われ言葉もありません。
死刑になりたいという願望のために犠牲になった方のご遺族にとって、その犯人が望んだ死刑の判決はご遺族の心にはどのようにうつるのでしょうか。
ご遺族にとってはやはり、犯人が心から後悔し反省することが一番の癒しになるのではと思ってしまいます。
裁判員裁判というプレッシャー
重大な犯罪が行われたときは、裁判員裁判が行われます。
一般市民が裁判員として選ばれ、刑罰を決めるという重い責任を負わなければなりません。
死刑判決が出た裁判の裁判員となった方が、その複雑な心境を話されていたことを思い出します。
「納得できなければ控訴を」と言った裁判員もいたというニュース映像を見たとき、死刑という刑罰の重さを改めて感じました。
死刑に立ち会う刑務官
死刑について考えるとき、刑の執行に関わる刑務官のことも忘れてはならないと思います。
死刑執行は当日の朝に担当となった刑務官に告げられるそうです。
刑務官が仮病で休んでしまうことや外部への情報漏えいを防ぐ目的で、当日まで刑の執行を告げられません。
絞首刑のボタンを押す数人の刑務官(誰が押したボタンかをわからなくするため3つ以上のボタンがある)と
落ちてきた遺体を受け止める刑務官(遺体の保護と刑場を汚さないため)が刑の執行に関わるそうです。
どちらにしても、精神的な負担はかなり大きいことが想像されます。
死刑を贖罪ととらえることの危うさ
犯罪者と被害者という関係において、犯罪者は被害者と同じ苦しみを味わうべきという心情は人間として仕方のないことです。
その気持ちの奥底には「自分の犯した罪の重さを感じてほしい」という気持ちも含まれているのではないでしょうか。
しかし死を望む人間にとっては、死刑は必ずしも罪の重さを感じる理由にはなっていないように感じます。
死が贖罪となるという単純な判断では片付けられないところに、死刑廃止への動きがあるのかもしれません。
死んでも魂は生き続ける
この世のことがらだけを見つめていても、目に見えない心の問題の解決は難しいことです。
例えば精神疾患の方の治療は、薬を飲めば治るというものではないでしょう。
心の問題が簡単に片付くものではないことは、誰しもが感じていることです。
犯罪者が死刑になることで、目に見える部分では事件が終結したかもしれません。
しかしご遺族の悲しみが癒えるかどうかは別の問題なのではないでしょうか。
大本では、死後の世界(霊界)と霊界での審判についての詳しい御示しがあります。
⇓この機会にご一読いただき、死刑について考える参考としていただければ幸いです。
>>「冥界の審判」>>
いま、世界は死刑廃止へと動いています。
死というものの本質とこの世に生まれてきた意味を考えることから、死刑を考えることが必要な時代になってきたのかもしれません。
最後に、ご遺族が必ずといっていいほど言われるこの言葉を書かせていただきます。
「このような思いをする人が二度と出ないように願います」
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。