引き寄せの法則ってご存じですか?
叶えたい夢や希望を想像して、言霊として発することで現実化していくというものです。
最近、ネットでもよく見かけるようになりました、
しかも、これは怪しげなスピリチュアルではなく、量子力学という学問に基づいているらしいのです。
今回は、この引き寄せの法則と私の拙い体験から感じたことをお話しさせていただきます。
少しでも何かの参考になればうれしく思います。
引き寄せの法則で夢を実現化させる人とは
引き寄せの法則といっても、くわしく知っているわけではないのですが、仕事上リサーチした限りでは、次のような法則のようです。
・叶えたい夢や理想の生活をできるだけ具体的にイメージする
・その夢を叶える、夢が叶った、という言葉を言う
・機嫌よく毎日を過ごす
「そんなおまじないみたいなことで、夢が叶うなんてありえない」
そう思いますよね。
でも、引き寄せの法則では「だからあなたの夢は叶わない」ということになるようです。
いくら言葉で肯定していても、心の底で「そんなことあるものか」と疑っているあいだは叶わないのが引き寄せの法則だそうです。
ちょっとドキッとしませんか?
夢を叶えるには「心から信じる」「疑わない」ことが条件なんです。
引き寄せの法則を調べながら、数か月まえの私の経験がまさに「神さまを信じられるか」の体験だったことに気づきました。
化学やけどの恐怖におびえる
今年の春に、私は化学やけどをしました。
台所でシンクの掃除をしているときに、右人差し指についた水酸化ナトリウムが原因です。
掃除が済んでからしばらくして指が痛み出し、がまんできないほどになりました。
水酸化ナトリウムは、皮膚に付いたら20分以上流水で洗い流す必要があるそうです。
その初期の対応を間違えてしまったことが、やけどをひどくしてしまいました。
スマホで検索すると、水酸化ナトリウムは身体のなかに浸透して化学反応しながら体を溶かすとありました。
しかも、その化学反応が終わらない限り炎症が広がる、神経が侵されることもあるなど、深刻な状態になる可能性もあるようです。
ひどい場合は、皮膚移植が必要など、痛そうな情報ばかりが出てきました。
そのころには、爪に小さな穴が開いていましたが、医師は「今の時点ではなんともいえない。2ヵ月くらい様子をみないと、どの程度の深刻さかはわからない」と言い塗り薬を処方されました。
やけどには、お土がいちばん効くという思いがあり、薬ではなくお土を塗ることにしました。
ところが、です。
化学やけどはそんな単純なものではありませんでした。
まず、日常生活での困難は3つあります。
・お土が乾くと痛みが出る
・つねにお土を湿らせておく必要がある
・とにかく家事がやりにくい
しかし、それ以上に私の心を暗くしていたことがあります。
それは、3ヵ月後に控えた伶人奉仕があること、琴の稽古が欠かせない時期だったことです。
お土をつけていたから大丈夫と思っていましたが、一時期、どんどん爪の穴が広がっていきました。
夜中に急に不安が襲ってきて、ひたすらお祈りをしていたこともあります。
お土は信仰的にいただくもの
そんなときに思い出したことがありました。
お土は信仰的にいただくもの。
そろそろ、お土に懐疑的になってきたころ、私は信仰的にいただいていないことに気づきました。
お祈りをしていなかったわけではないのですが、祈念では足りないのではと感じたのです。
そこで、平癒祈願の祝詞を奏上してご祈願させていただくようにしました。
悩みたくないので、3ヵ月後の伶人奉仕が済むまでは、お土と御祈願におすがりすると決め、どうしても悪くなったら病院に行くと決心。
お土をつけているから大丈夫という気持ちと、いや、医者へ行けという警告なのではという気持ちがいつも闘っていました。
少しずつ快方には向かっていましたが、伶人奉仕を前にして再び指が腫れてきて、もう病院へ行くしかないと覚悟を決めました。
ところが患者が多くて今日は診られないといわれ、うれしさ半分、不安半分で帰ってきた私は、ご祈願とお取次ぎにおすがりすると再び決心したのです。
毎日自分に、お土をつければ大丈夫と言い聞かせ、ひたすら治すための行動を続けました。
一方で、医療を頼るべきなら分かりやすくお知らせくださいという御祈願もさせていただいていました。
今回は何が正解かわからないので、神さまに導いていただこうと思ったのです。
さらに、特派の先生にお取次ぎもお願いすることにしました。
神さまを信じて委ねる有難さ
『霊界物語』には、ケガをした宣伝使がお土をつけたら、たちまち治ったというようなお話がいくつかあります。
それは事実だろうけど、自分の身にはそんな都合の良いことはないと、どこかで思っていました。
引き寄せの法則からいえば、だから治らないのです。
本当はきちんと病院にかかればよかったのかもしれません。
しかし、治療は薬をつける、治らなければ皮膚移植、爪母移植という情報が多かったため、お土が医薬品に変わるだけかもしれないとも思いました。
どちらにしても、ひどくなるまで決定的な治療法はないらしいと感じた私は、適切な治療がうけられるよう、神さまにお任せすることにしたのです。
それからというもの、根元から健康な爪が再生されていくさまを、まざまざと見せていただいています。
5か月後の診察では、医師から「お若いですね」といわれました。
治る速さが、年齢不相応だったようです。
現在も、爪の変形は残っています。
変形した爪は、かなり深くえぐれており深刻なやけどだったのではと思われ、ただただ、ありがたく思う日々です。
人生の方向を決めてきたのは自分自身
「自分のまいた種ということに気づかず、人を恨むのが人間の常であるらしい。
果てもなく悲しいことです」(『寸葉集』巻二 出口直日著)
このお示しが、このごろ自分自身に静かに響いてきています。
毎日、人間はあらゆることを選択して生きています。
起床や就寝の時間、食べるもの、仕事、語りかける言葉…
人生のできごとは、日々の自分の選択が積み重なって起きてきたことなんだなあと感じます。
なぜこんなことになったのか。
なぜ、こんなに不幸なことが起こるのか。
規則正しい生活をする、掃除をする、そんな普通のことを、自分の選択でできなかったことが、今回のできごとの原因だったと感じます。
そして、自分の中にある、否定的な考えが否定的な世界を作り出しているのかもしれないとも思いました。
今回のやけどで私が感じたことは
・良い方向へいくと信じ切る
・良い言霊を発する
・神さまにお任せして穏やかに過ごす
この3つがポイントだったと思います。
そして、早寝早起きや助け合いのような当たり前のことを、当たり前にすることが仕合わせにつながるのだと実感しました。
以前、大本大道場修行で、二代教主さまの御言葉として、神さまは御神徳をたくさんあげようと思っているのに、みんなは欲がないから小さい器しか持ってこない、というようなお話を聞いたことがあります。
この器とは、肯定的な思考と行動、信じ切る力かもしれないと感じた数か月でした。
読者さまは、どうお感じになるでしょうか。
拙い体験話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。