梅松苑もみじ祭り
コラム

「型」の大本

「型」の大本

大本が説く原理の一つに「型」という概念があります。

国祖国常立尊は、世界の修理固成を行うにあたり、はじめに、雛型として日本の国土をつくり、これを世界に移して修理固成されました。

「日本」→「世界」→「宇宙」の順に一貫したつながりを持たせ、三段階の「型」が出るように創造されました。

 

「型」と「鏡」

大本の教えで示されている、「型」とは、大本の中で起こった出来事が「型」として世の中に波及してゆくことで、教典には「型が出る」等と示されています。
また、「鏡」は「鏡が写る」等と示されており、世の中で起こった出来事が、大本に写ってくることを示しています。

この「型」と「鏡」の循環は大本の特徴的な教えで、世界の悪い出来事が大本に写り、「写った悪い出来事」を浄化しそれを「善い型」に改め、大本から日本、世界に「善い型」を出すようにと示されています。

 

大本のお示し

日本は世界の胞胎にあたっておって、世界の地形は日本のそれと相似形をしているということはたびたび話したことである。すなわち日本は五大島からなり、世界は五大洲からなっており、その地形もそっくりそのままである。九州はアフリカに、四国は豪州に、北海道は北米に、台湾は南米に、本州は欧亜の大陸にそれぞれ相当している。
紀伊の国はアラビヤに、琵琶湖は裏海に、大阪湾は黒海に、伊勢の海はアラビヤ海に、駿河湾はベンガル湾に、津軽海峡はベーリング海峡に、土佐湾はオーストラリア大湾に、能登半島はスカンジナビヤの半島に、瀬戸内海は地中海に、関門海峡はジブラルタルの海峡に相当する。これらはほんの一部分を示したに過ぎないが地名を言霊学で調べてみると、小さな町や村に至るまで皆同じである。日本国内では鹿児島の大島がまた日本の縮図であって、すべてが相似形をしている。またそれらの土地におこる種々の出来事も、相応の形をとって起こるのである。単に土地のみではない、人の体もまた相似しているので、五臓六腑は五大洲に同じような形をしているのである。(中略)日本という国は不思議な尊い国である」(『月鏡』 出口王仁三郎著)

 

あやべの大本の中には、世界の人民の心の通りが、皆にして見せてあるぞよ。大本は世界の鏡の出る処であるから、世界に在る実地(じっち)正末(しょうまつ)が、皆にさして見せて在(あ)るから、色々と心配を致して居(お)るなれど、何(ど)んなかがみも仕(し)て見せて在るから、世界が能(よ)く成る程、この大本は善くなるぞよ。
今ではモチト、何事も思うように無いのであるぞよ。世界の事が皆大本に写るから、夫れで此(こ)の中から行状(おこない)を善く致さんと、世界の大本と成る尊い処であるから、何事も筆先通りに為(し)て行かねばならんぞよ。(『おほもとしんゆ』第一巻「大正四年旧十二月二日」)

 

大本に因縁あつて集まられた人々から、先づ世界の大立替へ大立直しの型を出さねばならぬことになつて参つたのであります。しかし皆さまが協力一致せなくては大神業は成就せない。たとへば一本の矢はごく弱いものであり、すぐ折れるが、何本か固まれば中々強く容易に挫折せないものです。
今日までの大本は世界の状態が映つて個々分立し、祝詞文中の「己が向々」で上を向いたもの、下を向いたもの、あるいは右を、左を、天国を、地獄を、艮を、坤をと言つた具合に個々別々に向かつてゐたが、これでは神業の完成どころか却つて妨害になる。
祝詞文の中の「己が向々有らしめず」の聖句の通り、信者一般が協同一致して事に当らねばなりませぬ。(『霊界物語』特別篇「入蒙余録」 出口王仁三郎著)

 

世界の鏡の出る所であるから、是までに何程言うて聞かしたとて、あまり出口を世に墜して御用が為してありたから、疑ふ者ばかりで、此中の行ひがチツとも出来んゆゑ、誠の教も未だ今にさして無きやうな事であるから、この闇の世に夜の明ける教を致しても、誰も真に致さねど、もう夜の明けるに近うなりたぞよ。(『霊界物語』第六〇巻 出口王仁三郎著)

 

開祖の御神諭に、『此大本は、世界の事の鏡の如くに写る大本であるから、遠国を見ないでも心を落着けて、大本の中の日々の出来事を調べて居りたら、世界の事が一目に見える、尊い地の高天原であるぞよ』と現はされてあります。今日大本が天下の新聞雑誌により、将又(はたまた)人の口によりて、無暗矢鱈(むやみやたら)に攻撃され妨害されるのも、皆神界よりの実地の御教示であって、日本の移民が世界の到る所で排斥されたり、各国轡(くつわ)を並べて排日の声を高め、且つ其運動に熱中して居る実状が、鏡の大本へうつりつつあるのであります。
神は未来を達観し、聖人は将に来らむとする世の変動を前知し、凡人は現在の出来事を見ると申しますから、幽玄微妙なる神界の御経綸が、容易に真解さるべき筈がありませぬから、大本が世間から誤解されるのは、寧ろ当然の結果であります。
丁度世界を至治泰平に救ひ助けて、天国浄土を招来せしむる天職を、天賦的に具有し実行せむとしつつある日本国を、各国民が誤解して、盛んに排日などを行(や)って居るが、彼等は近き将来に於て日本国の至誠と神力と皇徳とに随喜の涙を流して、日本国を心の底より讃仰するやうになるのを知らないのと同じことであります。
開祖の神諭にも『此大本は一旦世界から悪く言はれるなれど、何も心配は致して下さるなよ。皆神の仕組であるから、先になりたら何とした結構な御道であったぢゃらう、何とした有難い神様であったぢゃらうと申して、上に立って居る番頭から下の人民が、我(われ)も私(わし)もと申して、綾部に詰めかけて、助けて下されと申して、日本は申すに及ばず、世界中から出て参るぞよ』と御示しになってあるのである。深遠なる大神の御経綸は、人心小智の到底窺知し得べからざるものであると云ふ事を、考へねばならぬのであります。(『出口王仁三郎全集』第一巻)

東海教区特派宣伝 前田茂太