「このはなざくら」

このはなざくら

「このはなざくら」はヤマザクラの変種で、花期がヤマザクラより一週間ほど遅く、花は八重咲で花弁は約40から60枚程度あります。また、メシベが2本(1本から4本のことも)あり、花が下向きに咲くのが特徴です。

このはなざくら

このはなざくら

 

「このはなざくら」は、昭和28年4月14日に京都府亀岡市天恩郷内にある花明山植物園で、出口直日大本三代教主によって発見されました。翌年に京大理学部教授でバラ科の権威者であった小泉源一博士の検定を受け、竹内敬花明山植物園初代園長によって、ヤマザクラの新変種として学会誌に発表されました。

和名「このはなざくら」は小泉博士による命名で、古事記にも登場する木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなんだものですが、これは発見者である出口直日大本三代教主が望んだ名前でもありました。

長生殿のこのはなざくら

 

大本の教典には、木花咲耶姫命について次のように記されています。「今回、天宮(おそら)の木花咲耶姫が、この世に現れる神々と、この世に堕ちた神々との調和をもたらす役割を神界から命じられている」(『大本神諭』第五巻)。

木花咲耶姫命は神々の和合を促す重要な役割を担っており、大本の教えにおいて非常に重要な存在とされています。

木花咲耶姫命は日本神話においても桜色の衣をまとった女神として描かれ、安産や子宝の神様、富士山の守り神として崇敬されています。

また、出口王仁三郎聖師は小幡神社(京都府亀岡市曽我部町穴太)の産土神と木花咲耶姫命との約束により、小幡神社の氏子として誕生し、木花咲耶姫命の使いである松岡芙蓉仙人に導かれて霊界の修行を始め、後に『霊界物語』を口述しました。

 

静岡分苑のこのはなざくら
富士山とこのはなざくら
皆神山このはな桜
皆神山このはなざくら

「このはなざくら」は、亀岡市の指定文化財天然記念物にも指定されており、1996年6月1日に「亀岡の名木」として紹介されました。さらに、三重県の津市、いなべ市、東員町でも野生種が発見され、全国で確認されている野生種はわずか5本のみという、非常に貴重な樹木です。

また、いなべ市でも「このはなざくら」は指定天然記念物となっています。

 

このはなざくらの原木
このはなざくら原木
いなべ市のこのはなざくら

 

 

東海教区特派宣伝使 前田 茂太