「み手代お取次ぎ」と「ご祈願」のご神徳

大本長生殿の風景

私の「み手代お取次ぎ」の始まり~「膵臓がんのご婦人」~

私は50歳の時にみ手代をご下付していただきました。その際、「宣伝使の研修会」に参加し、初めて「お取次ぎ」の研修を受けました。午後に出口直日 大本三代教主さまから、み手代をご下付していただいた際、この質素なもので病気を治すことができるのだろうかと、不謹慎な思いが湧いてきました。

一週間ほど経ったある日、神さまから試練を与えられることになりました。

突然、妻が友人が「膵臓がんで入院しているので、今から総合病院に行ってお取次ぎをしてほしい」と言ってきました。私は「宣伝使研修会」の際に一度だけ「お取次ぎ」の体験をしただけで自信がなかったため、嫌だと断りました。

しかし、妻は怒り出して「あなたは宣伝使でしょう」と非常に厳しい口調で言い続け、収まる様子はありませんでした。根負けして、仕方なく出かけることになりました。それが私の「お取次ぎ」の初めての経験となりました。

病室には二つのベッドが並べられており、片方のベッドには手足を縛られ、口に猿ぐつわをはめられた痩せた女性が苦しみに七転八倒していました。
ご家族に事情をお聞きすると、彼女は末期の膵臓がんで麻酔が効かないとのことでした。私はこの状況から、完治は困難だと悟りました。

そこで、「痛みが和らぎ、安らかに天国に召されますように」と祈願し、一生懸命に「お取次ぎ」を始めました。すると、彼女の唸り声が次第に静かになり、彼女は私の方を見つめて懇願しているようでした。

その後、唸り声もなく静かになり、私はご婦人がこのままお亡くなりになるのではないかと心配になってきました。お取り次ぎの途中でお亡くなりになった場合、どうしようかと考えながら一回目を終えました。しかし、よく見ると彼女はすやすやと寝ており、安心して二回目を行いました。その間、彼女は安らかに眠っておられました。

私は家族の方に苦しまれた場合はすぐに来るようにとお願いし、帰宅しました。

その後、何の連絡もなく心配していたところ、一週間後にお亡くなりになったことを知りました。

ご家族のお話によると、その後の一週間は意識も戻り、苦しむことなく穏やかに過ごされていたそうです。病状が良くなったため、付き添いの家族は一時帰宅し食事をすることになりましたが、食事を皆で食べようとした矢先に病院から急な連絡があり、駆けつけるとご婦人は安らかに息を引き取られていたとのことです。

私はなぜあの時、「病気が完治するよう」に祈願しなかったのか後悔しました。

ご葬儀の際、喪主は挨拶の中で、ご病気の経過や故人の状況などについて話され、私の変わった歌によって意識が回復し、穏やかな日々を過ごされたことを報告されました。

その結果、「お取次ぎ」の依頼が増えるようになりました。

この出来事は私にとって初めての「お取次ぎ」の経験となり、また、私が「み手代」をご下付いただいた際の不謹慎な思いを正すために、神さまから与えられた試練だったのだと気づきました。

それ以降、心を入れ替えてお取次ぎに励むようになりました。

 

 

私の「み手代お取次ぎ」の体験談をいくつかご紹介いたします。

 

「不登校の高校生」

高校2年生の男子が二学期から学校に行かなくなりました。

昼間は部屋で寝ていて、夜は外に出て走り回っているそうです。医者に通っても状態が改善されず、ご祈願を依頼されました。
午後7時ごろ、私は自宅を訪問し、正しく正座していただき、「お取次ぎ」をさせていただきました。

その家に入ると、青臭い嫌な匂いが漂っており、これは憑依現象だと感じ、しばらく続けることにしました。
お取り次ぎを約5回続けた頃、母親から「もうお取次ぎは止めて家に来ないでください」と言われたので、理由をお尋ねしました。

すると、私がその家に訪問する約2時間前になると、息子さんが恐怖におののきながら家の中を廻り続けるので、親として見るに耐えないとおっしゃいました。

また、ご家族の方々にはこのような憑依現象が親族間を巡り、母親自身も一度経験したことがあるとお話しされました。そのため、仕方なく私は辞退することにしました。

それから約一ヶ月ほど経ったある日、

息子さんから「母がそちらにお伺いしていませんか」と電話があり、しばらくして母親が訪ねてきました。
息子さんは「私にお礼を伝えたい」と言い、「まだこれからもお世話になることがあるかもしれない」と言ったそうです。

母親は私に「お取次ぎ」を断った手前、入りづらい思いをしながら近所をうろうろしていたそうで、お礼と感謝の言葉を述べて帰宅されました。

その後、ご主人がお見えになり、息子さんが再び登校するようになった経緯をお話されました。

私が訪問しなくなった後、ご主人は毎晩不思議な夢を見るようになったそうです。白い着物を着た人が現れて、息子さんに私が行っていたように「お取次ぎ」をなさるのだそうです。

この夢は息子さんの病気が治り、学校に行くようになるまで続いたそうです。

 

 

「家出の捜索依頼」

ある日、会社の同僚から電話があり、将来期待の部下が行方不明になり「全員で捜索しても見つからない。何とかしてくれ」と依頼がありました。
家に帰り、祈願をすると同時に、綾部の長生殿にもご祈願をお願いしました。

翌朝、出勤すると同僚から電話があり、「貴方は何をしてくれたのだ」と言われました。
私は「直ぐに会社に連絡するようにと祈願しただけだよ」と答えると、九州の警察から、「本人を直ぐ引き取りに来い」との連絡があり、詳細は不明ですが何か大変なことが起きたとのことでした。

その後、詳しい経緯を聞くと、部下は会社に行くことが嫌になり、車で心のままに移動していたとのことです。
九州に到着した時、手持ちのお金もなくなり、公園で車を停めて寝ていたところ、車のガラスを叩く音で目が覚めたそうです。警察に身元確認をされ、家出したことを話すと、保護されることになりました。
警察が勤務先に電話確認をしたことで、大騒ぎになったことが分かりました。

私の「彼の居場所を直ぐに連絡してください」と神さまにお願いした内容がそのまま実現したことになります。

神さまが警察や本人を導いてくださったことはありがたく、不思議なことです。しかし、お願いは成就しましたが、その後、彼は会社を退職し、故郷の東北に帰ることになり、挨拶に来ました。私は納得できないことがあり、なぜ彼が警察に本当のことを話したのか尋ねたところ、彼は口が無意識に話し出してしまい、コントロールできなかったということでした。

 

 

「言語障害の対処」

私の会社の友達の娘さんが、中学一年の一学期の終わりごろに急に言葉が話せなくなりました。

どこの医者に行っても原因が分からず、困っていることを聞いたため、「お取次ぎ」をさせていただくことになりました。私は彼女の自宅に毎週お伺いし、「お取次ぎ」をさせていただきました。

しかし、何の変化も見られず、良い効果は現れませんでした。そこで、致し方なく本部の先生に相談し、彼女の自宅に来ていただき霊的な障害などを見ていただきましたが、原因は分かりませんでした。

その後、その地域のお話を聞いていると、いろんな因縁のある地域であることが分かってきました。その家の周りは四つの小高い山に囲まれた盆地でした。一つの山はつつじが咲き、非常に美しい山でしたが、残りの三つの山は杉や檜木が茂り、暗い印象を与える山でした。

この四つの山にはつぎのような言い伝えがあります。
美しい山には白龍が住み、暗い山には黒龍が住んでおり、盆地に住む人々に悪影響を及ぼしていました。ある時、尊いお坊さんが現れ、龍たちをそれぞれの山に祠を建てて封印しました。その後、祠への参拝が困難となったため、お坊さんの屋敷の上に祠が移されたとのことです。

彼女の家はその中の一つの山の麓に位置していました。その山の頂上から真っ直ぐ下に一本の道が通っており、その道の真ん中に家が建てられているため、道が湾曲していました。

私は龍神の怒りが原因ではないかと考え、山の頂上にある古い祠を探し、地域の人々の非礼を詫び、天津祝詞を奏上しました。しかし、その後、山の頂上で八方払いをしたことで喉が痛くなり、大きな声が出せなくなってしまいました。

その後も彼女の状態は変わらず、亀岡の基本講座に参加していただくようにお誘いしました。そこでの体験の一部をお話しいたします。

彼女によれば、毎晩、月宮宝座から白い着物と袴を着た人が壁を通り抜けて彼女の部屋に現れ、毎日様々なお話をしてくれるそうです。
基本講座の最終日に、綾部のみろく殿の歴代教主さまの肖像画の前で説明を始めると、彼女はにやりと笑いました。私にはその意味が分かりませんでした。
しかし、その後、詳細に書かれた手紙が届き、彼女が笑っていた理由が分かりました。
毎晩、彼女のところに訪れる方は、出口王仁三郎聖師だったのです。

その後、ご両親と相談し、彼女を亀岡の本部に暫く滞在させることになりました。
本部に到着すると、受付の外で以前お世話になった本部の先生が私たちを迎えてくれました。その後、「お取次ぎ」をしていただきました。
すると、「ようやく正体を現した。これは白龍だ。非常に怖がっているからすぐ帰りなさい」と言われ、滞在を中止して帰宅することにしました。白龍は彼女から離れることなく、龍の修行が完了するまで待つしかないと言われました。修行の完了は節分の日だと言われました。

しかし、節分が過ぎても彼女の状態は改善しませんでした。

そして、五月のある日、彼女は突然母親に話し始めました。発病から二年が経過しており、彼女やご家族は非常に喜ばれました。

中学校には半年間しか通うことができませんでしたが、学校長の配慮により無事卒業することができ、高校の検定試験を受け、中学時代の同級生たちと同じ時期に合格することができました。本人とご両親は、ご神徳を受けたことに深く感謝している様子でした。

私自身、このようなお手伝いをさせていただくことができ、大変学びになりました。

 

「大腸がんの兄」

私の実の兄についてですが、ある時突然下血があり、救急車で病院に運ばれ、「大腸がん」と診断されました。癌は全身に転移しており、重症部分を切除し、転移治療は抗がん剤による対処となりました。新薬の抗がん剤を使用して通院治療を行うことになりました。

その後、私は兄の家に「お取次ぎ」に行くことにしました。兄は違和感なく私のお取り次ぎを受け入れてくれました。抗がん剤治療で通院していましたが、私が「お取次ぎ」を始めてから、診察のたびに「ガン指数」が下がり、健康な数値に回復しました。担当医はこれを奇跡と言っており、医学界で発表したいと申し出があり、兄は同意し、新薬の効果事例として紹介されました。その結果、医学界では大変好評だったそうです。

しかし、新薬の効果なのか、「お取次ぎ」の影響なのか判断が難しい状況でした。その後、兄の「ガン指数」は正常値が続きました。私は神のご加護によるものだと考え、綾部の長生殿へ「お礼参りに」行こうと兄を誘いました。しかし、兄は医学の力によって良くなったのだから「お礼参り」に行く必要はないと主張しましたので、私は断念しました。

その後、兄は「お取次ぎ」を断り、また家への訪問も拒否されることになりました。兄の病状を直接把握することができなくなり、義理の姉からの情報によれば、「ガン指数」が急速に上昇し、再入院して治療することになったそうです。しかし、回復は望めず、兄は息を引き取ることになりました。兄は無神論者であり、私の一言が災いをもたらす結果となり、後悔することになりました。

信仰するか医学を信じるかは、個々の信念によって異なります。おかげを受けるか否かには、双方の考え方に関わる問題があるように思われます。

 

「咽頭がんの叔父」

私の母の弟で叔父に当たる方が咽頭がんを患い、入院していました。咽頭がんのため、食べ物や水を喉から摂取することが困難な状態でした。医師の診断結果によれば、がんは全身に転移しているため、暫定的な処置として咽頭の切除が行われ、全身の転移に対しては抗がん剤治療が行われることになりました。

手術の直前から私は「お取次ぎ」をさせていただくようになりました。祝詞の声が心に響くと喜んでいただきました。私は「お取次ぎ」を続けていましたが、仕事の都合で長期出張に行くことになりました。そのため、継続的な「お取次ぎ」ができなくなりましたが、叔父に了解を得て出張に出かけました。

出張先から「遠隔お取り次ぎ」をさせていただいておりましたが、ある日の午前4時ごろ、変な夢を見ました。
夢の中で、やせ細った叔父が首から古い骨董品のようなカメラを下げて、痩せた馬にまたがり小高い山に登ってくる姿がありました。そして、馬から降りてカメラを取り外し、私に手渡す場面がありました。

その時、場面が変わり、多くの親族が台に並び、真ん中に叔父が座っている光景が広がりました。叔父は私に写真を撮ってくれと言ったのです。私は壊れたカメラのシャッターを押しました。すると、叔父はもう一枚撮ってくれと言ったので、もう一枚写真を撮りました。

また、場面が変わり、叔父は台から降りて下の方に歩き出しました。すると、小高い山の下から多くの人々が登ってくる光景が広がりました。叔父はそれらの人々と手を握り、挨拶をしながら小高い山を降りていくのです。すると、叔父の姿がだんだんと元気な時の姿に戻っていきました。その長い列に驚きながら夢から覚めました。

叔父の安否が気にかかり、母に電話をかけたところ、叔父が早朝に亡くなったことがわかりました。しかし、なぜ写真を撮らせられたのか疑問に思い、出張から帰宅して叔父の家に参拝し、叔母にお尋ねすると、葬儀の際に使用する写真をどれにするかで親族間で揉めていたそうです。叔父はその対策として、私に写真を撮らせたのではないかと考えられました。

この体験は、現界と霊界の関係について、多くの教えが示される事例であると理解しています。

 

おわりに

「人生は修行の場である」という大本の教えは、まさにその通りであると思います。

生まれてくる際、私たちは一生の計画を立てて生まれてくるように思います。

病気になることやさまざまな困難に直面することも、すべて「身魂磨き」をするために仕組まれているのかもしれません。

今年で85歳になり、残りの人生を過ごす中で、「みろくの世」の実現を見たいというのが私の願いです。

三河本苑 松永孝司

 

※松永孝司特任宣伝使におかれましては、7月16日にご昇天になられました。長年にわたり、三河本苑の特任宣伝使として多大なるご尽力をされました。在りし日のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。