「進取果敢」

このはなざくら

逆境になれば真剣に祈ること

人生は苦しさの中に楽しみがあり、楽しさの中に苦しみがあり永遠に進歩発達してゆきます。暑さ寒さと戦い、困難と戦い、悪と戦い、そうしてこれらの苦しみに打ち勝った時、魂は花を咲かせ実を結びます。

「窮すれば通ず」と言われますが、さまざまな試練に遭い、壁にぶつかり苦しい思いをしながら、その壁を乗り切っていくことが、人間をより成長させ、魂の向上につながります。
進歩発達のあり方は、人や状況に応じて違いますが、逆境、試練に遭ったとき、神さまに自らの非をお詫びし、真剣に祈り、‶進取果敢〟な姿勢で切り抜けていくことが大切です。

 

大本のみ教え

試みにあふも憂ひの雨ふるも悔まず怯じず神にまかせよ
皇神と共にありせば如何ならむ悩みにあふも苦しからまじ
皇神の道すすむ身は千万の曲おそふとも如何で恐れむ
まことなき人は少しの試みにあひて誠の望みうしなふ
いく度か神の試練にきたへられ遭ひし悩みも喜びとなりぬ
御試しに遭ひて打ち勝つ信徒とならしめたまへ神の力に
逆境に立つ身は大なる順境に向へるものと直に進めよ(『大本の道』 出口王仁三郎著)

 

祈れば光が射してくる
今まで見えなかった道が見え出してくる
その道をお進みなさい
進むのはあなたの足で
また行き詰まったら またお祈りなさい
祈れば光が射してくる
苦しいのはつみがあるからだ
痛いのはけがれがあるからだ
苦しくても暫くだ
痛くてもちょっとだ
永遠の栄に入るんだから辛くても暫くだ
洗濯される間はちょっといやだが
しみが除れたら軽く清くなる
あとはらく 嬉しく 有難くなる
しみをすてておいたら 何時までも不潔でみじめだ
辛抱せねば何にもできない(『信仰覚書』第六巻 出口日出麿著)

 

進展の意義

進展とは、より良くなりたいという希望のことです。すべてのものが、良くなりたい、向上したい、進歩したい、進展したい、開発したいという前向きな希望を持って行動しています。
これは、私たちの目に見える範囲のものだけではなく、大宇宙ことごとくに動きがあり、その動きには希望、目的があります。出口王仁三郎聖師は、「日に月に進展するはかむながら萎縮退嬰人ながらなる」(『大本の道』)と示しています。

気持ちが後ろ向きになったり、悲観的になったりするのは人間心であって神さまのご意志ではありません。

 

大本のみ教え

進み行く月日の駒に神ならひわれは進展主義をとるなり
進むのみただ一心にすすむのみ積極主義の大本の道(『大本の道』 出口王仁三郎著)

 

進展は神慮である。神慮であるからして神の分霊分体たる個々のものにも、やはりそういう進展的希望がある。それで進展というものは誰にでも、何にでもなくてはならぬものである。ひとり人間のみでなしにすべての物にある。それは神慮であるというわけであります。ゆえに天地、衆生(しゅじょう)とともに進展を志すものは栄え、しからざるものは亡びるのであります。(『信仰叢話』 出口日出麿著)

 

経験は宝なり

ガンジー(インド独立指導者)の言葉に、「多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない」とありますが、頭の中にある理論や情報も、自分で経験しなければ、その本質はつかめません。
分かったつもりでいても、その感覚や言葉では表しにくい感情は実際にはわかりません。

何事も自分で経験するということは、多くの学びを与えてくれます。

 

大本のみ教え

あくまでも積極的にいろんな局にあたって、その機微を悟らねばならぬ。消極的では、いつ迄たっても体験を得ぬから、会得することがなく、したがって、向上進歩がない。苦しい場合でも積極的に、忍耐する時でも積極的に、心を精一杯に張りつめて、どこまでも気張って気ばり通さねばならぬ。(『信仰覚書』第五巻 出口日出麿著)

 

次々にいろいろな境遇をへて、しかる後に、はじめて物事を達観しうる境地に達しうるのであって、いかに素質が上級な人でも、その素質を充分発展さした後でなければ、他人から「えらい」と言われるわけのものではない。要するに、苦心し努力しただけの効果しか現われないのである。(『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著)

 

自分にできる範囲の仕事でよい。大きなことに手を出したところで、単に空想に終わるから、自分の力のおよぶ範囲のことに手を出して、ますます建設的、積極的な態度に出なくては、現界的神業はおくれるばかりである。これをよく心得るがよい。(『信仰覚書』第二巻 出口日出麿著)

 

螺旋的展開……無限向上

ものごとの進歩・発展の様相は、螺旋階段を登るように、横から見れば右肩上がりに上昇してゆきますが、上から見れば円を描いて元に戻ってくるように見えます。
つまり、発展とは、視点を変えれば原点回帰とも言えます。しかし、発展した未来は、実は原点より一段上のところに存在します。

現在、社会で大きな流れとなりつつある、スローライフ、帰農、自然農法、循環型社会、自然エネルギーなどは、この螺旋的発展に当てはまる事象であると考えられます。
これらは一見すると、ブーメランのように、原点に帰ろうとする動きのように見えます。
しかし、実際には、人類の科学技術、それによってもたらされる利便性、快適性を追求した生活スタイルは、右肩上がりに進化・発展し続けています。
原点回帰の様相を呈しながらも、確実に一つ上の段へと進んでいます。

 

大本のみ教え

螺旋状軌道というのは、春がきて冬になるまでは一回りしており、今度また一月一日がくれば去年のと同じ日が来ているかといえば、そうでない。螺旋状に一回りだけ進展している。「年々歳々花相似たり」で、草木は毎年同じような相似の状態におるが、しかし、前の時よりは今は成長しておらねばならぬ。また成長しているべきものである。年輪が一つ殖えている。おなじ形であり、同じ花が咲いているようでありますが、そうでない、進展している。そして翌々年はまたそれより一回り進展してゆく。こんなのが螺旋状の軌道であります。「歴史は繰り返す」とか、天災や景気、不景気等にもこうした螺旋状の軌道があるようです。すなわち、一切の動きにそれぞれの周期律があるわけです。(『信仰叢話』 出口日出麿著)

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太