神界の構造
神さまは、天国においては「愛善」を、霊国においては「信真」をもって、神界全体を統括されています。この壮大な世界は「神界」と呼ばれ、主に天国と霊国という二つの領域から成り立っています。
神界は、一つの大きな人間のような姿として捉えられます。その内部には、無数の“小さな人間”に相当する団体が存在し、それぞれが人体の内臓器官のような役割を果たしています。たとえば、頭部、胸部、脚部、目、腎臓などに対応する機能を担う団体があり、それぞれが固有の働きを通じて神界全体の調和を保っています。
具体的には、天国は人間の「心臓」に相当し、意思や情熱といった内的なエネルギーを司るとされます。一方、霊国は「肺」に例えられ、思考力や知恵をつかさどる機能を担っています。このように、天国と霊国は、人間の心臓と肺のように密接に連携し合う関係にあります。
また神界の各部位は、脳や内臓、手足、筋肉、神経、繊維などの人体の構成要素に相応する機能を分担しています。神界全体があたかも一つの有機体のように、各部分が連携し合いながら統一された存在を形成しているのです。この統合された存在は、「大神人」と呼ばれることもあります。神さまは一人の人間の身体を司るように、この全体を統御しておられます。

人体に相似する各局部が象徴する概念
神界の構造をより深く理解する手がかりとして、「人体との相似性」という視点があります。この考え方では、人体の各部位が象徴的に特定の概念や精神的性質を表しているとされます。
- 頭部:愛、平和、無垢、証覚、智慧といった高次の精神性を象徴します。
- 胸部:仁、信、善、徳など、内面的な美徳を表します。
- 腰部・生殖器:夫婦の愛という深い絆を示唆します。
- 脚部:自然な在り方や霊的な善徳と関連付けられます。
- 腕・手:真理を実践に移す力、行動力を象徴します。
- 目:物事を見抜く智恵を示します。
- 耳:他者の言葉に注意深く耳を傾け、従う姿勢を表します。
- 鼻・口:外界を知るための知覚機能を象徴します。
- 口・舌:思考や感情を言語で表現する能力を示します。
- 内腎:研究や分析、誤りを正す力、そして多様な真理を探究する姿勢を表します。
- 肝臓・膵臓・脾臓:善、真理、洗練された精神性に関わります。
このように、神界の各部と人体の各器官は深く対応し合っており、その相似性を知ることは、神の創造の奥深さや人間存在の本質を理解する上で重要な手がかりとなります。さらに、この相似性は、私たち人間がお互いを尊重し、和合することの意義をも示唆しています。
たとえば、天界の「頭部」にあたる存在は、愛や平和、無垢といった調和的な精神性に満ち、歓喜と幸福の中にあるといわれています。これは、私たち人間社会においても、一人ひとりが愛と平和を尊び、互いに無垢な心で接することによって、全体として歓喜と幸福に満ちた状態を築き上げられる可能性を示唆していると言えます。
神界が各部分の調和によって成り立っているように、人間社会もまた、多様な個性を持つ人々が互いに理解し、協力し合うことで、より円滑で豊かなものとなります。神界の相似性を深く理解することは、個人の内面を探求するだけでなく、他者との繋がりを大切にし、平和な社会を築くという、より大きな意義へと繋がるのかもしれません。
言葉に宿る人体と神界の相似的構造
興味深いことに、私たちの日常の言葉や諺(ことわざ)の中にも、人体と神界の相似性を示す表現が数多く見られます。
・頭が切れる(鋭い判断力)
・胸が熱くなる(情熱・感動)
・腰を落ち着ける(安定・覚悟)
・足場を固める(基盤・準備)
・腕が立つ(優れた能力)
・目利き(見抜く力)
・耳が痛い(忠告を重く受け止める)
・鼻が利く(直感・感覚の鋭さ)
・口が軽い(慎重さの欠如)
・先が乾かぬうちに(次々と軽々しく話す)
これらの表現は一見、日常的に使われているだけのように思えますが、その根源を辿ると、実は神界との深い結びつきを反映しているとも解釈できます。すべての言葉や行為は神界からのメッセージと見ることもできます。
人体と神界との深遠な繋がりは、私たちの言語や思考の中にも深く刻まれていると言えます。
大本のお示し
高天原の全体を統一して見る時は、一個人に類するものである。ゆゑに諸々の天人は、その一切を挙げて、一個の人に類することを知るがゆゑに、彼らは高天原を呼んで、大神人といふのである(『霊界物語』第四十九巻 出口王仁三郎著)
高天原の全体を、一つの大神人なる単元と悟りし上は、すべての信者は、その神人の個体または肢体の一部なることを知るがゆゑである(『霊界物語』第四十九巻 出口王仁三郎著)
何れも神の神格は人体中に相似せる各局部に流入して之と相応し給ふ。天界よりの内流は諸肢体の働き及用の中に入り、而して具体的結果を現ずるが故に、茲に於てか相応なるものが行はれて来るものである(『霊界物語』第四十七巻 出口王仁三郎著)
故に大神人の一部分たる神の信者たる者が斯の如き自愛心に捉はれて、孤立的生涯を送るに至らば、外面神に従ふ如く見ゆると雖も、其内分は全く神を愛せず、神に反き、自愛の為の信仰にして、所謂虚偽と悪との捕虜となつたものである
(『霊界物語』第四十九巻 出口王仁三郎著)
天国の全体は一つの巨人に譬(たと)ふべきものである。ゆゑに甲の天国団体はその頭部にまたは頭部のある局所にあるやうなものである。乙天国の団体は胸部にまた胸部のある局所にある。丙天国の団体は腰部または腰部のある局所にあるごときものである。ゆゑに最上天国即ち第一天国は頭部より頸(くび)に至るまでを占め、中間即ち第二天国は胸部より腰および膝の間を占め、最下即ち第三天国は脚部より脚底と、臂(ひじ)より指頭の間を占めてゐるやうなものである。(『霊界物語』第十八巻 出口王仁三郎著)
巨人すなはち天界の頭部にをるものは、愛、平和、無垢、証覚、智慧の中に住し、従つて歓喜と幸福とに住するをもつて天界到るところ、この頭部における善徳に比すべきものはない。人間の頭部および頭部に属する一切のものに、その神徳流れ入つてこれと相応するのである。ゆゑに人の頭部は、高天原の最高の天国、霊国に比すべきものである。
次に巨人すなはち天界の胸部にあるものは、仁と信との善徳中に住して、人の胸部に流れ入り、これと相応するものである。一、巨人すなはち天界における腰部および生殖器機関に属するものは、いはゆる夫婦の愛に住してゐる。これは第二天国の状態である。一、脚部にあるものは、天界最劣の徳すなはち自然的および霊的善徳の中に住してゐる。 一、腕と手とにあるものは、善徳の中より出で来る真理の力に住してゐる。一、目にあるものは智に住し、耳にあるものは注意と従順に住し、鼻口に属するものは知覚に住してゐる。また、口と舌とに属するものは、智性と知覚とより出づる言語の中に住し、内腎に属するものは、研究し調査し分析し訂正するところの諸々の真理に住し、肝臓、膵臓、脾臓に属するものは、善と真といろいろに洗練するに長じてゐる。いづれも神の神格は、人体中に相似せる各局部に流入してこれと相応したまふ。天界よりの内流は、諸肢体の働きおよび用の中に入り、しかして具体的結果を現ずるがゆゑに、ここにおいてか相応なるものが行はれてくるものである。一、人は智あり覚ある者を呼んで、彼は頭を持つてゐるとか、頭脳が緻密であるとか、よい頭だとかいつて称へ、また仁に厚いものを呼んで、彼は胸の友だとか、心が美しいとか、気のよい人だとか、心意気がよいとか称へ、知覚に勝れた人を呼んで、彼は鋭敏なる 嗅覚を持つてゐるとか、鼻が高いとかいひ、智慮に秀でたものを呼んで、彼の視覚は鋭いといひ、あるいは鬼の目といひ、強力なる人を呼んで、彼は手が長いといひ、あるいは利くといひ、愛の心を基として、志すところを決するものを呼んで、彼の行動は心臓より出づるとか、心底から来るとか、同情心が深いとか称へるのである。
かくのごとく、人間の不用意のうちに使ふ言葉や諺は、なほこの外にいくらとも限りないほどあるのは、相応の理に基いて、その実は厳の御霊の神示にある通り、何事も神界よりのお言葉なることは自覚し得らるるのである。(『霊界物語』第四十七巻 出口王仁三郎著)
東海教区特派宣伝使 前田 茂太