ありのままという厳しさと優しさのはざまで

梅松苑ユウスゲ

「僕らはたまたま、常識の多数派なんだよ。もし僕らが少数派だったら、利用者さんとの立場は逆になるだけのこと。」
これは、以前私が働いていた障がいのある人施設の上司が言った言葉です。

そのとき、障がいをかかえる方々と接する機会が多かった私は、深く納得していました。

 

「普通」に悩む

精神に障がいをかかえる方は、それぞれが持つ譲れない価値観のために生きづらさを感じています。

「普通はそう考えない」「常識では考えられない」といわれてしまう価値観。

「みんなに言われることはわかってるけど、どうしてもこうなっちゃうんだよ。そんな自分も嫌なんだけど、どうしようもないの」

こぼれる涙を何度も拭いながら話してくれた方がいました。

だからどうしたらいいのか、その答えは未だに分かりません。

でも、常識の多数派、少数派という概念には、とても納得しています。

障がいをかかえる方の支援をお願いするとき、学校や職場に、かかえる障がいの説明をしなければなりません。
理解をしてくださるところもありますが、くわしく説明すればするほど「それは甘えでしょう」
こう言われることもめずらしくありません。

その人その人の「どうしてもこうなっちゃうこと」は、ときとしてわがままと捉えられてしまいます。
精神論や根性論で否定されてしまうこともあります。

支援をお願いする立場であるスタッフにとっても、障がいのある人ご本人にとっても、「私はこうなっちゃう人なんです。だから、お互いどうしましょうか」という話に持っていきたいのですが、そこにいくまでには、なかなかの時間と労力がいります。

甘やかしや特別扱いを望んでいるわけではなく、「こういう風にしか生きられない」ということをありのままに受け止めてほしいだけなのですが、早々にあきらめることもあります。

譲れない価値観はなかなか譲れないということを誰よりも分かっているのが、実は障がいのある人ご本人だったりするからです。

このような場面を何度も経験していくうちに、「普通はそうならない」という価値観から離れられないというのは、誰しもがおちいってしまうことなんだと感じました。

 

ありのままを受け止める勇気

日常生活でも、「あの人はなんであんなことをするのだろう?」「なんでこんなことがわからないのか」こういう愚痴、ついつい出てしまいますよね。

自分のなかの「善悪の基準」や「できる、できないの基準」は、なかなか譲れないものだと自戒をこめて思います。

ありのままを受け止めるというのは、かなりの勇気が必要だと痛感する毎日です。

出口直日大本三代教主の夫出口日出麿尊師の御示しのなかに、「そういう型の人だと思っておればよい」という一文があります。
自分が障がいを持つ方々と話していくなかで、この御示しの深さを改めて感じています。

その上で自分が多数派であっても少数派であっても、ありのままの事実を受け止めて、「だからどうする」から始めたいと思う毎日です。

障がいのある人の施設で勤務していたとき、私が繰り返しその奥深さについて考えさせられていた御示しがあります。

「世の中をよくするたった一つのものがある、それは”好意”である」(『信仰覚書』第四巻 出口日出麿著)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

「生きる力と考える力を育むために」 – 大本東海教区 (oomoto-tokai.net)

「苦しみを作り出す原因」 – 大本東海教区 (oomoto-tokai.net)