「〝艮の金神〟を押し込める儀式とは」

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艮の金神

〝艮の金神〟は、全大宇宙の創造主・唯一絶対神である大国常立大神(天御中主大神)のご分霊で、国祖として知られる国常立尊です。古典では国之常立神(「古事記」)、国常立尊(「日本書記」)と呼ばれています。

国祖・国常立尊は、地上神界の主宰神であり、この太陽系宇宙の親神でしたが、退隠して「艮の金神」と呼ばれました。国祖は何十億年もの歳月をかけて、今日見られるような大地を形成しました。この地上のものはすべて、国祖が生み育てたものであり、人類は日々、「艮の金神」からの計り知れない恩恵を受けています。

国祖・国常立尊は、大地を形成した後、天地が混乱状態の際、まず最初に『天地の律法』を制定し、基本方針として霊主体従を採用し、天使長に神示を伝えて神政を実施させました。この結果、地上と天上の両方に、国祖が理想とする万有和楽の世界が築かれました。
『天地の律法』は内面的には、「反省せよ。恥よ。悔い改めよ。天地を畏れよ。正しく覚えよ」という五戒律と、外面的には、「夫婦の道を厳守して一夫一婦であるべきこと。神を敬い、長上を尊び、ひろく万物を愛すること。互いに妬み、誹り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること。」という三綱領で構成され、国常立尊は世界を厳格に統治していました。

しかし、時が経つにつれ、多くの神人は国常立尊の厳格な統治に我慢できず、我がままで自由奔放な気風が強まり、怠惰の濁流に飲み込まれていきました。

その結果、天地に邪気が発生し、それが凝り固まり、悪霊や邪霊が生まれ、多くの神人がこれらに憑依されました。国常立尊の神威を恐れた多くの神人は、様々な悪巧みを巡らせ、国常立尊を何千万年もの永い歳月をかけて、地球の東北にあたる日本に押し込めてしまいました。

「艮の金神」として忌避されてきたこの名称は、その出来事に由来する俗称です。

また、『備後国風土記』などで知られる、蘇民将来の伝説に登場する牛頭天皇に滅ぼされたとされる「巨旦(コタン)大王」は〝艮の金神〟を指します。

日本の神事、仏事、五節の祭礼のすべては「巨旦大王(艮の金神)」調伏(※)の儀式で、古来、日本人は五節の祭礼を通して「巨旦大王(艮の金神)」を祟り神として押し込め、その再現を恐れてきました。(※調伏とは、簡単に言うと厄払い

大本では、毎年、国常立尊のご再現の日である節分に、京都府綾部市にある長生殿「節分大祭」が執行されます。節分は、国常立尊のご隠退の日でありご再現の日でもあります。
大本で執行される節分大祭は、世間一般で行なわれる節分祭とは異なり、国常立尊が再現し暗黒無道の世となった地上世界の立替え立直しを行なうための意義深い祭典です。

大宇宙を祓い清める「大潔斎神事」、世界中の国々を祓い清める「中潔斎神事」、個人を祓い清める「小潔斎神事」が、「人型大祓い行事」として夜を徹して行われ、過ぎし1年間の罪や汚れが祓い清められます。

 

 

調伏の儀式

一月一日 ……………..  紅白の鏡餅(艮の金神の骨肉)
三月三日 ……………..  蓬の草餅(艮の金神の皮膚)
五月五日 ……………..  菖蒲のちまき(艮の金神の髭と髪)
七月七日 ……………..  小麦の素麺(艮の金神の筋)
九月九日 ……………..  黄菊の酒(艮の金神の血)

雑煮   ……………..  艮の金神の臓腑
数の子  ……………..  艮の金神の舌
串柿   ……………..  艮の金神の目玉を貫く
ウラジロ ……………..  艮の金神の助骨
門松   ……………..  艮の金神の墓標
鞠    ……………..  艮の金神の頭
弓矢の的 ……………..  艮の金神の眼
柊鰯   ……………..  艮の金神の晒し首
豆撒き  ……………..  艮の金神の目潰し
しめ縄  ……………..  艮の金神を押し込めるための結界
どんど焼き……………..  艮の金神の火葬を意味する行事

 

 

「牛頭天王」と「午頭天王」

「牛頭天王」とは、日本における神仏習合の神であり、古代インドの僧院・祇園精舎における釈迦の説法の守護神とされています。また、『備後国風土記』に記された『蘇民将来説話』における武塔天神と同一視されています。

さらに、「牛頭天王」は神仏習合の概念に基づき、「素盞鳴尊」とも解釈され、京都の八坂神社のご祭神として広く知られています。

元々、八坂神社は「祇園社」(感神院)という名前であり、神仏習合の地でした。
しかし、明治維新時の神仏分離令(1868年)によって、八坂神社と改称され、祭神も変更されました。
祇園社ではかつて「牛頭天王」を祭っていましたが、それを「日本神話に登場する神を祭るように」という指示に従い、祭神を「素盞鳴尊」に変更しています。

日本の歴史を振り返ると、天皇たちは天災や疫病が蔓延すると、八坂神社(祇園社)を各地に建立し、祭り(※)を行ってきました。(※日本の三大祭りの一つに挙げられている京都の祇園祭は、毎年7月1日の「吉符入り」から始まり、31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって京都市内の中心部や八坂神社でさまざまな神事・行事が行われている。

この祭りの目的は、「午頭天王」を疫神として祭り、神の加護を得て災難を免れるためです。また、「午頭天王」を崇拝することで「巨旦大王(艮の金神)」の崇りを祓う意味も含まれています。

しかし、大本の教義では、一般に伝えられる「牛頭天王」の伝承について異なる解釈が存在します。出口王仁三郎聖師は、「牛頭天王」と「午頭天王」は、実際にはまったく異なる存在であると次のように指摘しています。

牛頭天王は素盞嗚命の御事であり、午頭天王はマツソンの事である。牛頭とはソシモリと云ふ事であり、ソシは朝鮮語の牛の事である、モリは頭と云ふ事である。頭はまん丸くもり上がつて居るから、さういふ意味でもりと云ふ。牛頭(ソシモリ)これは前云ふ通り素盞嗚の大神様の事であるが、マツソンは大神様の名を僣して、まぎらはしい午頭天王などと云ふたのである。牛と午との違ひである。(『水鏡』)

「午頭天王」を「素盞嗚尊」と同一視して唱えたのは、吉備真備(※)が唐から帰国する際に同行してきた金毛九尾白面の悪狐にいつの間にか惑わされ、結果的に暦法に組み込まれてしまったことに由来します。(※菅原道真と並ぶ奈良時代の大学者、政治家。遣唐留学生、遣唐副使として二度にわたり入唐した。)

後世では、「牛頭天王」と「午頭天王」が完全に混同され、さらに「午頭天王」も「素盞嗚尊」と同一視されるようになってしまいました。しかし、出口王仁三郎聖師の示すとおり、大本の教義の解釈では、『備後風土記』に記されているような「巨旦大王(艮の金神)」を素盞嗚尊が滅ぼして奉るということはありません。

 

 

大本のお示し

節分のお祭は皆さんも御承知の通り、艮の金神様をおしこめたのが節分の日であり、煎豆に花が咲いたら出て来いといつて節分には煎豆を撒くのです。艮の金神は余りに一途な頑固な神様でしたので、それが気に入らぬ万の神々に排斥され、おしこめられ、万劫末代再び世に出て来ないよう、出さぬようにと〆縄を張つて厄病神、鬼神としてしまつたのです。世間一般に節分の晩には煎豆を「福は内、鬼は外」といつて撒くのですが鬼とは艮の金神様のことですのでは大本では「福は内、鬼も内、福も内」というようにしています。家の中でもお父さんが厳しいと子供らがけぶたがるのですが、それほどでなければ家の中はうまく行かないのです。神世の時も余りに大神様が厳格すぎたので、それをけぶたがる万の神々におしこめられてしまつたのです。
「来いで来いでで松世は来いで末法の世が来て門に立つ」
という歌があるように、それからこのような世の中が乱れてきたのです。又、姿も何もないようにしてしまうという意味で、雑煮やタタキ牛蒡、千巻、素麺などを喰べる習慣になつたのですが、雑煮は金神様の臓腑であり、タタキ牛蒡は骨もなにもたたき潰してしまうという意味になるのだそうです。これらは元の神様をおしこめて、万劫末代世に出ないようにすることなのですから、大本の信者はよくおかげを頂いて〆縄などは張らないようにして下さい。あれは神様をおしこめるものです。大本にとつては節分のお祭りは非常に目出たいありがたいことなのです。(「愛善苑」誌昭和二十五年二月号 出口すみこ大本二代教主 談)

 

地上の世界一般の神人らは、幾回となく天上に上りきたり、国祖大神の御退隠を奏請することしきりにして、三体の大神はこれを制止し、慰撫し、緩和せしむる神策に尽きたまひ、つひに自ら天上より三体の大神相ともなひて聖地に降らせたまひ、国祖大神をして聖地エルサレムを退去し、根の国に降るべきことを涙を呑み、もつて以心伝心的に伝へられたりける。国祖大神は、三体の大神の深き御心情を察知し、自発的に、
『吾は元来頑迷不霊にして時世を解せず、ために地上の神人らをして、かくのごとく常暗の世と化せしめたるは、まつたく吾が不明の罪なれば、吾はこれより根の国に落ちゆきて、苦業を嘗め、その罪過を償却せむ』と自ら千座の置戸を負ひて、退隠の意を表示したまひける。
アヽ国祖は、至正、至直、至厳、至愛の神格を発揮して、地上の世界を至治太平の神国たらしめむと、永年肝胆を砕かせたまひし、その大御神業は、つひに万神人の容るるところとならず、かへつて邪神悪鬼のごとく見做されたまひ、世界平和のために一身を犠牲に供して自ら退隠の決心を定めたまひたる、その大慈大悲の大御心を拝察したてまつりて、何人か泣かざるものあらむや。
神諭に曰く、
『善一筋の誠ばかりを立貫いて来て、悪神祟り神と申され、悔し残念、苦労、艱難を耐り詰めて、世に落とされて蔭に隠れて、この世を潰さぬために、世界を守護いたしてをりた御蔭で、天の御三体の大神の御目にとまり、今度の二度目の天の岩戸を開いて、また元の昔の御用を致すやうになりたぞよ』と示されたるごとく、数千万年の長き星霜を隠忍したまひしは、実に畏れ多きことなり。
さて三体の大神は国祖にむかつて、
『貴神は吾が胸中の苦衷を察し、自ら進んで退隠さるるは、天津神としても千万無量の悲歎に充たさる。されど吾また、一陽来復の時を待つて、貴神を元の地上世界の主権神に任ずることあらむ。その時来らば、吾らも天上より地上に降り来りて、貴神の神業を補佐せむ』と神勅厳かに宣示したまひけり。
ここに国祖大神は、妻の身に累を及ぼさむことを憂慮したまひて、夫妻の縁を断ち、独り配所に隠退したまひけり。国祖はただちに幽界に降りて、幽政を視たまふこととなりぬ。されど、その精霊は地上の神界なる、聖地より東北にあたる、七五三垣(しはがき)の秀妻国にとどめさせたまひぬ。諸神は国祖大神の威霊のふたたび出現されむことを恐畏して、七五三縄(しめなは)を張り廻したり。ここに豊国姫命は、夫の退隠されしその悲惨なる御境遇を坐視するに忍びずして、自ら聖地の西南なる島国に退隠し、夫に殉じて世に隠れ、神界を守護したまひける。ここに艮の金神、坤の金神の名称起れるなり。豊国姫命が夫神の逆境に立たせたまふをみて、一片の罪なく過ちなく、かつ、いつたん離縁されし身ながらも、自ら夫神に殉じて、坤に退隠したまひし貞節の御心情は、実に夫妻苦楽をともになすべき、倫理上における末代の亀鑑とも称したてまつるべき御行為なりといふべし。
アヽ天地の律法を国祖とともに制定したる天道別命および天真道彦命も、八王大神のために弾劾されて、ここに天使の職を退き、恨みを呑みて二神は世界の各地を遍歴し、ふたたび身を変じて地上に顕没し、五六七神政の再建を待たせたまひける。惟神霊幸倍坐世。(『霊界物語』第四巻 出口王仁三郎著)

 

午頭天王とは言靈学上、午頭天王(まつそん)と成るのである。世俗謬(あやま)り伝へて、午頭天王を素盞嗚尊と為すは、大神に対し奉りて、実に不敬の甚だしきものである。
古伝に曰く、午頭天王、龍王の娘頗梨釆女(ばりぬめ)を妻とし以て八王子を得たり。其一は總光天王大歳神(そうくわうてんだいさいしん)、二は魔王天王大将軍、三は倶摩羅天王大陰神(ぐまらてんわうだいをんしん)、四は得達神天王歳刑神(とくたつしんてんわうさいけいしん)、五は良侍天王歳破神(りやうじてんわうさいはしん)、六は侍神相天王歳殺神(じしんさうてんわうさいさつしん)、七は宅神相天王黄幡神(たくしんさうてんわうわうはんしん)、八は蛇毒気神豹尾神(だどくぢしんへうびしん)。以上は八将軍(八尾八頭)也。其眷属八万四千六百五十四神あり。午頭天王(まつそん)、后妃及び八王子諸眷属を率いて、広遠国(日本国)に到り彼の鬼舘に入り、諸(もろもろ)の眷属と共に乱入して巨旦を滅ぼすとあるは、大日本国の国祖、艮の大金神を征伐した事の意義である。天地開闢(かいびやく)の太初(はじめ)より、八頭八尾と、邪鬼と、金毛九尾の悪神が現はれ、天下を魔の世界に為むとして、天の大神へ種々の奏聞をなし、終に根の国へ神退ひに退ひ、猶(なほ)飽き足らずして、艮の鬼門大神の神舘に乱入して、巨旦大王(艮の金神)の屍を切断し、各五節に配当し、神事、仏事共に、艮の金神調伏の儀式を行ひ、広遠国をソミコン(抹損の眷属)に預けておいて、誓って曰ふ。「我末代に疫病を流行する神と成らむ。併しソミコン(抹損の眷属)の子孫と云はば、妨害すべからず」と。『我が在る』の味方のみを助け、他の種族は之を疫病にて滅ぼすと云ふ虫の良い誓言である。また彼は末代の衆生が寒熱の二病を受くるは、則ち午頭天王(まつそん)の眷属の行為であるから、若し此の病を退けむと欲せば、即ち外に五節の祭礼を違へず、内に二六の祕文を収めて、須(すべか)らく敬信せよと言って、天下の衆生を一々『我が在る』の奸策に曳き入れ來ったのである。(二六の祕文とは、ソミコン子孫と唱へることである)
今日までに神事仏事に五節の祭礼を執行して居たのは、甘々午頭天王(まつそん)の悪神に誑惑(きやうわく)されて居って、気が付かなかったのである。五節の祭礼の一なる正月元旦の赤白の鏡餅は、巨旦(艮の金神)が骨肉なり。三月三日の蓬来の草餅は巨旦が皮膚なり。五月五日の菖蒲の結粽(ちまき)は巨旦が鬢髪(びんばつ)なり。七月七日の小麦の素麺は巨旦が繼(すぢ)なり。九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血液なり。又鞠(まり)は巨旦の頭なり。弓の的は巨旦の眼なり。門松は巨旦の墓標なりと唱へしめ、咸(みな)是艮の金神の調伏の儀式として、今日まで神仏の儀式に用ゐて来たのであるから、天下に真の神が絶無となり、悪魔の横行闊歩したのも無理はないのである。然るに有難き事には天運ここに循り来った、艮の金神大国常立之尊が地の高天原に、変性男子の御魂に依りて顕現せられ、天下の悪鬼邪神を言向和し給ふ神代が到来したのであるから、今迄の五節の祭礼も、自然に改めなければならぬ事になって来たのであります。
附言。午頭天王を素盞嗚尊なりと唱へ出したのは、吉備公が唐より帰朝の際従ひ来りし、金毛九尾白面の悪狐に何時の間にか吾が精霊を魅せられて、途方も無き節を暦法に加へられたのが、日本人のマツソンの靈魂に誑惑われた初めである。
午頭天王(まつそん)邪鬼神の奸計甘々と成功し、弥(いよいよ)節分の夜を期して、巨旦天王、即ち艮の金神大国常立之尊は、隠身となり給ふさへ気の毒に堪へざる次第なるに、午頭天王(まつそん)の暴悪無道なる巨旦の靈魂を根本的に滅亡せしめむとし、節分の儀式にも亦調伏の行事を敢てせり。乃ち巨旦大王の眼を潰さむが為に、鬼の眼突きと稱して柊(ひひらぎ)の針の鋭きを戸壁に刺しかざさしめ、巨旦の頭を梟すべく鰯の頭を串刺しと為して門戸に挿し、加之(しかのみならず)煎豆を人家の内外に撒きて鬼の眼潰しと称し、鬼は外、福は内へと年男に謳はせ、煎豆に花が咲くまでは日本の国には入るべからずと言うて、日本の人民が知らず識らずに、地の先祖の大神を、悪魔邪神呼ぶばはりをして来たのである。思へば思へば実に勿体なき次第であった。然し知らぬ神に祟り無し、大神の広き厚き大御心にて、今日までは見直し聞き直し詔り直して赦して下さったのであれども、最早時節到来して、艮の金神の御教示を聞かして頂いた以上は、今までの不調法を全部御詫びして、一切万事を五六七の神政の行り方に改復しなければ成らぬのである。それで皇道大本の節分祭は、国祖大神御大難の記念日を追懐して、従来の知らず識らずの御無礼と御気障りの御詫びを申し上ぐると同時に、過去一年間の御礼と、来る一年間の御守護を願ひ天津罪、国津罪、許々多久の罪穢を速川の瀬に流し捨つる大神事である。(『出口王仁三郎全集』第五巻)

本年の流行性感冒は余程猛烈を極めて居る。就ては其伝染を防ぐ為にマスクを使用せぬ者は電車に乗る事を禁ずると云ふ府県令が出たり、全国に防疫官が派遣されると曰ふ大騒ぎで在るが、マスクの使用も結構かも知れぬが、夫れよりも日本国民は精神をマスクに持ち変ヘてマスクな惟神の大道を歩めば決してそんな猛悪な風邪神に征服される気遣ひは無いのである。マツソンの流感に罹つた連中が敬神尊皇の大義を忘れて了つて、不健実な害国思想に心酔して居ると終には神を軽んじ、大君の大恩を忘れ、悪神に乗ぜられて大切な生命までも抹損せなければ成らぬやうになるので在る。一月十五日の大朝の報ずる処に依ると、大阪中央電信局で日々殺到する沢山の電報の中から京都神戸奈良地方に送信した五千四百通を抜いて其用件の統計を取つて見た所が、驚く可し一割八分は流感で「危篤だ」「死んだ」と云ふ通知、殊に不思議なのは今年は女の感染が多く、右一割八分の大部分は女の危篤や死亡の通知であつたと云ふ。「東海姫氏国、風の神様までが女を慕はつしやると見へる新らしい婦人方に一つ排斥運動でも行つて貰はにや堪らむ」云々と出てあつた。吾人は大本神諭を反覆熟読して倍々神の力依らねば成らぬ事を深く感ぜざるを得ないのである。又た大阪では十五万人の小学生徒が一時に学校を休んで、マスクを面部に当て居る。全然六道の辻をさまよう亡者の精神に成つて悪神を撃退するが目下の最大急務である。又たマスクは国音「魔好く」に通ずるものである。(随筆『神霊界』大正9年1月21日号掲載

節分と甘酒の由来

大本の節分のお祭りは、長年の間天地の艮におはいりになっておられた先祖の神様が、いよいよ時節が参り、明治二十五年、開祖様に神がかりになりまして、この世におあがりになりましたまことに結構なお祭りでございます。
その節分祭に皆さんにあがって頂く甘酒は、天地の元の神様が世にあがられましたとき、お祝としてお供えになったのが甘酒でありまして、その甘酒をあやからして頂くのであります。
天地の親神様が世に落ちなさるにつきましては、艮の金神様と御一諸に、その系統々々の神様が皆世に落ちてござって、長らくの間苦労なされたのでございます。
これは霊のことで、人間の目には見えないのですが、聖師様が初めて大本においでになりました頃なども一番初発から世に落ちておられました神様が、なんぼおあがりになったか判りません。業をなさって苦しんでおられた神様や、根底の国に落ちておられた霊が沢山あがってきました。この霊のあがって来る有様は、実際口では云えません。まるで蜂が集団になって宿替するときのようなゴーツという音をして、何万という霊があがって参りました。みな大変に喜こんで、親子の対面とか、夫婦の対面、主従の対面とかいうふうにそれは芝居のようでありました。その頃には、私などまだ霊のことがはつきり判らない時分でしたから、「おかしなことやなあ、開祖様も聖師様も、おかしいことを仰有るし、しなさるもんやなあ」と思うて笑っておりましたけれど、ボツボツその時分のことを考えてみますと、なかなかそうしたわけのものではございません。これは一番初発の地獄の蓋開けで、大神様がお出ましになりましたに就きまして、沢山の霊がつぎからつぎからと出て来たのであります。
「助けてくれ助けてくれ云うて、なんぼ出て来るやら知れん」と開祖様も云われました。わたしたちは根底の国に行ったことがないから、その苦しさは判りませんけれど、怖ろしい処に落ちていた霊が、こんどの神様のお出ましに際して、恰度陛下が御位につかれたり、お子様がお出来になったり御目出たいことがありますと懲役に行っている人が許してもらえますように、つまりああゆうふうに許されなさるのでしょう。
そのときにあがって来た沢山の霊にこの甘酒を頂かしてやったのですこれは根底の国からあがって来た霊ばかりでなく、前に申しました大神様の系統の神々様も沢山ありましたその霊たちが喜こんでこの甘酒を頂いて、元気一杯になって、どんどん世界に御活動なさるのです。
昔から「由良さんこっち、甘酒しんじよ、手の鳴る方へ」とよく子供が云って遊びましたが、あの「手の鳴る方へ」というのは、神様の方へという訳であります。「由良さんこっち」というのは神様から結構な身魂を頂いておりながら今まで枝神に左右され、すっかり盲目にされ聾にされてしもうておったのを、神様が眼を開け、耳を聞えるようにして、いよいよ世界のために働けよと神様が仰有っておるのでございます。それを昔から「由良さん」にたとえてありますので、眼も開き耳も聞えるようにして頂いて、神様のもとへやって来て、拍手を打って甘酒を頂くのであります。
そういう訳の甘酒で、決して寒いから飲むとか、腹が空いたから飲むとか、そういう訳の甘酒ではありません。どうかそのお積りでおかげを頂いて下さい。またこの甘酒を頂けば悪事災難の穢れを除かれます。
お筆先に「昔からいろいろな祝言々々いうて、みな誠に結構なことのように思うて居るけれども、元の神を押し込めてしもうて、悪神どもが喜こんで祝うたとえばかりであるぞよ―」とありますが、節分でも「鬼は外、福は内」と、云うて豆をいって家に撒いたのは、この天地の元の大神様を鬼神にたとえて、艮に押し込めてしまい、艮の金神は悪神だ鬼神だというて、悪口ばかり云うて居りました。正月の〆縄は神様を押し込めて出さないというたとえであります。神様が「いつになったらこの方を世に出すか」と仰有ると「煎豆に花が咲いたら世に出しませう」と答えて、あの煎豆を撒いたものなのです。
煎豆に花が咲く時はないから、万劫末代押し込めたつもりでおりましたものが、枝神様の方が、御自分で行きも戻りもならんような世にしてしまわれたので、大神様がいよいよこの世に出られたのであります。
そういう訳で大本ではこの節分祭に白豆をお供えしてお祝いいたし、そのお下りは「鬼も内、福も内」と云って皆さんにお下げしますから、そのお積りでおかげを頂かれますようお願いいたします。
すべて神様のお下りは、心次第でどんなエライおかげでも頂けるものであります。
天地の神々様のお住いなさるこの地の高天原は、お土でも木の葉一枚でも、池のお水一滴でもおかげは頂けるのであります。
開祖様は「お澄や、神様の尊いことがわかりたら、木の葉一枚でどんな御神徳でも頂けるぞや」と仰有つていました。
この甘酒を頂くにしましても、どうかうまいとか、まづいとか、そういう気持でなしに、本当におかげを頂くつもりで頂かれますよう、お願いいたします。(「愛善苑」昭和二十七年二月号 出口すみこ大本二代教主 談)

 

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太