「天国への階段」

自分の心に天国を築く

大本のみ教えでは、人間がこの世を去る際、神さまはその人の心情や魂の在り方に基づいて、天国や地獄に強制的に連行するのではなく、むしろその人が現界にいた時の普段の心情に最も近い霊域に進むように導かれると示されています。

出口王仁三郎聖師は地獄に行く者について次のように述べています。「地獄に行く者は自らよい所やと思うて地獄に堕ちて行くのや、地獄がこわいと思うて行くのやないのや、こんなもんやと思うている。優勝劣敗やから現界は地獄の型やな。修羅畜生の世の中になっている」(『昭和』「座談会」)。

地獄に行く者は、自分自身の欲望に従って行動し、その結果として地獄へと進むように導かれます。
一方で、天国へ進むためには、生前において心の岩戸を開いて、善行や愛情、思いやりを育むことが重要です。自分の心を清らかにし、他人に対する思いやりを大切にすることで、天国への階段を登る準備を整えることができます。
この際、地獄に陥りやすい優勝劣敗の思考や行動に注意を払いつつ、自らの心に天国を築くことが大切です。

したがって、人間がこの世を去る際には、その人自身の心情や行動が重要な鍵となります。善行や愛情を育み、地獄のような競争や争いに囚われるのではなく、心の内に天国を刻みながら、自らが求める霊域に進んでいくことが望まれるとされています。

大本のみ教え

ミロク神政の神業に参加せむと欲せば、まづ汝が心の娑婆世界をして天国浄土たらしめよ。
この世界は汝が心によりて、天国ともなりまた地獄ともなるものぞ。(『霊界物語』第二十二巻 出口王仁三郎著)

人間として、その身内に天国を有しなかつたならば、身外にある天国は決してその人に流れくるものではない。
またこれを摂受することができぬものである。要するに人は現実界にある間に、みづから心身内に天国を造りおく必要がある。(『霊界物語』第十七巻 出口王仁三郎著)

『人は心の持ちやう一つで、その日からどんな苦しいことでも、喜び勇んで暮される』と示されたのは、じつに至言であると思ふ。
一点の心燈暗ければ、天地万有一切暗く、心天明らけく真如の日月輝くときは、宇宙万有一切清明である。(『霊界物語』第五巻 出口王仁三郎著)

 

 

めぐり(罪障)

心の岩戸を開くためには、心のあり方を正すことが必要です。なぜ、心のあり方を正す必要があるのか、それは、現界に存在する全ての人間が〝めぐり(罪障)〟を背負っているからです。〝めぐり(罪障)〟とは、過去生から積み重ねてきた、良心の働きを妨げる悪い行いのことを指します。

〝めぐり(罪障)〟を清算し、心の中に天国を築く過程を通じて、自らが求める霊域へ向かう道を歩むことが理想的です。

大本のみ教え

その人は至極の善人であっても、その家、その先祖のめぐりは、どうしても負わねばならぬし、とくに、その人自身の過去の罪というものも逃れるわけにはゆかぬからである。(『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著)

あなたご自身にとっては、身におぼえの悪事をなされたことはないでしょうが、それはあなたの前生の身魂の罪科であるか、あるいはあなたのご家族の誰かの罪を引き受けておられるのであります。(『信仰雑話』 出口日出麿著)

肉体をもっている以上は、人は、どうしても、この肉体の保持より生ずる必然的肉欲なるものを無視することはできぬ。(中略)人の心を悪にみちびく動因となりやすく、自己のみならず子孫まで、いわゆる、めぐりを積ますこととなるのである。(『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著)

そして現代人の十人中の九人までは、すでに長い間の天則違反的行為によって、歴史的に、知らずしらずの間にめぐりを積んでいるのである。このめぐりを払い清めて、死後、天国にのぼり行く準備をすることが、人間のもっとも留意すべき点なのである。(『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著)

 

 

他人を批判したり責めたりしない

自らの心に天国を築くためには、他を批判したくなる心を己に向け、他人を鏡として自らを省みる必要があります。他人の悪口を言ったり批判をしたりすることで、自らの心を地獄へと落としてしまいます。他人の行動や言動を通じて、自分自身の内面を見つめ直し、反省することが大切です。

他人を批判する前にまず自己を省み、自分の欠点や課題に向き合うことが大切です。

大本のみ教え

他人が悪く見えるのは、自己に悪い所や霊魂に雲が掛りて居るからであるから、鏡を見て自己の身魂から改信いたすやうに、此世の本から御用の霊魂が拵へてありての、今度の二度目の天の岩戸開きであるから、一寸やソツトには解る様な浅い経綸でないから改信いたして身魂を研くが一等であるぞよ。(『霊界物語』第六十巻「三五神諭」 出口王仁三郎著)

途中で楽な遣り方でやりて、他(ひと)を誹(そし)りて……。自己(われ)の行が出来て居らんから、他とを悪口言うのが、一番神は気に損(さわ)るから、悪い事は親切があるなら蔭で申さんと、当人(そのにん)に気を付けてやるのが、真正(ほんま)の親切である。」(『おほもとしんゆ』第四巻)

ただただ人は吾が身の悪を改め、善に遷ることのみを考へ、決して他人の審判を為すべき資格のなきものなることを考ふべきなり。吾を愛するもの必ずしも善人に非ず、吾を苦しむるもの必ずしも悪人ならずとせば、ただただ吾人は、善悪愛憎の外に超然として、惟神の道を遵奉するより外なしと知るべし。(『霊界物語』第六巻 出口王仁三郎著)

到底不完全な人間が善悪ぢやとか、功罪だとかいふことは判断のつくものぢやありませぬ。それだから、神が表に現はれて善と悪とを立別け遊ばすので、人間はただ何事でも善意に解釈し、直霊の神にお願ひし、神直日大直日に罪を見直し聞直し、宣直してもらふより仕方がありませぬよ。(『霊界物語』第三十七巻 出口王仁三郎著)

睨まれて 睨み返すは人心 笑ふて返すは 神心なる(『霊界物語』第二十巻 出口王仁三郎著)

 

 

忍耐すること

順風満帆な暮らしの連続では、魂の成長は望めません。そこで神さまは、人間の魂を鍛え、成長させるために、苦労を、悲しみを、そして痛みをご用意されます。

困難な体験を通じてこそ、魂は深まり成熟します。苦難や悲しみに立ち向かい、痛みを乗り越える過程で、魂は内なる力を発見し成長を遂げます。そして、いかなる困難、いかなる障害をも克服するだけの力が宿ります。

このような試練を経て得た魂の成長は、人間の存在意義や霊性の進化にとって重要な要素です。神さまが苦労や悲しみを許容する理由も、人間がより強く、賢く、共感力のある存在として魂を進化するために必要なものとされています。

困難や苦難に立ち向かい、それらを乗り越える過程を通じて、魂はより高い次元へと成長します。

大本のみ教え

誰も慢心の無いものはないから、九分九厘まで取り違いを致して、結構な御用を取り外すから、夫れで筆先を十分腹の中へ〆め込みて居りて下されと申すのであるぞよ。今度の世の立替えに間に合う身魂ほど、苦労が授けてあるぞよ。苦労無しには何事も成就いたさんぞよ。(『おほもとしんゆ』第二巻)

この大望な御用を致さす因縁の身魂が、何事もスット思うように行つたら、途中から邪魔が這入りて物事成就いたさんから、此の大本は月の形の御簾の内、日に日に変わる経綸が致してあるぞよ。(『おほもとしんゆ』第二巻)

宇宙間の万物一として苦闘によらずして、尊貴の位置に進むものはない。しかるに、天地経綸の大司宰たる天職を天地に負へる人間にして、けつして例外たることを得ない。アヽ人生における、すべての美しきもの、尊きものは、千辛万苦、至善のために苦闘して得なくてはならぬと思ふ。(『霊界物語』第五巻 出口王仁三郎著)

空碧く 山水清く 海ひろし 何をなげかむ 神国に生れて(『霊界物語』第六十六巻 出口王仁三郎著)

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太