梅松苑もみじ祭り
コラム

「ワカヒメギミノミコト」

出口なお大本開祖のご神霊

「ワカヒメギミノミコト」は、出口なお大本開祖の神霊で大本の教典では「稚姫君命」「稚姫岐美命」「若姫君尊」「稚日女岐美尊」「若日女君命」などの漢字があてられ登場しています。

「ワカヒメギミノミコト」は、国常立尊直系の分霊で、初発の国祖神政時代(神代のエルサレム)にご活躍されています。その後、後身として、35万年前の太古に「初稚姫」として丹波国に生誕し三五教の宣伝使としてご躍します。そして、天保7年(1837)に出口なお開祖として生誕し、大本を開教しました。

 

稚姫君命登天之像

出口王仁三郎画 稚姫君命登天之像

 

香良洲神社ご祭神

神代の昔、天照大神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)と稚姫君命(わかひめぎみのみこと)との関係を疑い、稚姫君命を天教山(神代の富士山)から、はるか遠方の高麗の国(朝鮮)へと追いやられました。二神は※天津罪を犯したものとして生木を割くようにして引き裂かれました。

稚姫君命は、素盞嗚尊を慕い烏の羽裏に恋文をしたため素盞嗚尊に送られます。しかし、その烏は素盞嗚尊の元までたどり着けず、海を渡った末に力尽きて死んでしまいます。烏が力尽きたその地には現在、香良洲神社(三重県津市)が建立されています。香良洲神社のご祭神は、出口なお開祖のご精霊である稚日女命(わかひるめのみこと)です。

稚姫君命は、恋文の返事が来ないので意を決し自転倒島(神代の日本)へと向かいます。一方、素盞嗚尊は稚姫君命を慕って朝鮮に渡られました。
二神は行き違いすれ違ったまま出会うことなく、稚姫君命は遂に紀州の和歌の浦で亡くなり、玉津島神社に祀られました。

※天津罪は一般的には、素盞嗚尊(すさのおのみこと)などが高天原(たかまがはら)で犯した罪を指し農耕や祭祀を妨害する行為も該当します。大本ではさらに、天然自然に与えられている水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等の利用開発を怠ることも天津罪に該当します。

 

大本のお示し

「世の元の根本の誠の日本魂と申すものは、今の人民の申して居るような、浅い狭い日本魂でないぞよ。この日本魂の性来が、日本の人民には授けて在るなれど、薩張りがいこく魂に混ぜりて居るから、一寸でも混ぜりの有る御魂は、種には成らんぞよ。種に致す御魂が、世の元から隠して在りての、今度の経綸であるぞよ。斯う云う醜しき世が参りて、日本魂の誠の種が断れると云う事が、世の元から能く解りて居るから、二度目の世の根の日本魂の種に致す為に、稚日女君の尊の御魂が、神の代一代、地の底へ落として在りたのであるぞよ。世が潰れて、立たぬようになるという事が、大神の眼からは能く解りて居る故に、天に御一柱、地に一柱、末代変わりの無い御種が蔵してありたので在るぞよ。日本魂の種になる御魂は、ひととおりの身魂では成れんので在るぞよ。」(『おほもとしんゆ』第4巻)

 

「昔の根本(もと)の初まりのミロク様が、此(こ)の世の御先祖様であるぞよ。斯(こ)の世が一平(いったい)らに泥海の折からの事を、直々(じきじき)の御血筋(おちすじ)の、変性男子(へんじょうなんし)に書かせるぞよ。
斯(こ)の世の御先祖様が、地の泥海の中に御出来(おでき)なされたなり、霊能大神(ひのおおかみ)どのも同じ泥海の中で御出来(おでき)為(な)されたのであるぞよ。口や書(て)では早いなれど、中々の永い間の事であるぞよ
それから直(じき)の御血筋(おちすじ)を御戴(おいただ)き成されて、地の世界を創造(こしらえ)なさるまでの、独身(ひとりみ)での永い御艱難(ごかんなん)と申すものは、如何(どのい)にも解(わか)る事では無い、人民では到底見当は取れは致さんぞよ。……
大出口直には、明治二十五年からのように思うて居るなれど、直の霊魂(みたま)は此(こ)の方(ほう)の霊魂(みたま)が這入(はい)りて居りて、半分の霊魂(みたま)が天照大神(みろくさま)のお妹御(いもうとご)にして在りて、死に変わり生き代わり、苦労艱難(かんなん)、悔し残念を今に致して居る身魂であるぞよ。直に二十五年から此(こ)の方(ほう)が守護致したように、皆のものが思うて居るなれど、産(うぶ)から守護して居りたのじゃぞよ。」(『おほもとしんゆ』第2巻)

 

「世の元の根本の誠の日本魂(やまとだましい)と申すものは、今の人民の申して居るような、浅い狭い日本魂(やまとだましい)でないぞよ。この日本魂(やまとだましい)の性来(しょうらい)が、日本の人民には授けて在(あ)るなれど、薩張(さっぱ)りがいこく魂に混ぜりて居るから、一寸(ちょっと)でも混ぜりの有る御魂は、種には成らんぞよ。種に致す御魂が、世の元から隠して在(あ)りての、今度の経綸(しぐみ)であるぞよ。
斯(こ)う云う醜しき世が参りて、日本魂(やまとだましい)の誠の種が断(き)れると云う事が、世の元から能(よ)く解りて居るから、二度目の世の根の日本魂(やまとだましい)の種に致す為に、稚日女君(わかひめぎみ)の尊(みこと)の御魂が、神の代一代、地の底へ落として在(あ)りたのであるぞよ。世が潰れて、立たぬようになるという事が、大神の眼からは能(よ)く解(わか)りて居る故(ゆえ)に、天に御一柱(おひとり)、地に一柱(ひとり)、末代変わりの無い御種(たね)が蔵(かく)してありたので在(あ)るぞよ。日本魂(やまとだましい)の種になる御魂は、ひととおりの身魂では成れんので在(あ)るぞよ。」(『おほもとしんゆ』第4巻)

 

「艮(うしとら)の金神(こんじん)は、地球(よ)の元を創造(こしらえ)た変性男子(へんじょうなんし)の身魂であるから、元の肉体の其のままで、末代国を構わな成らん生神(いきがみ)であるぞよ。その国常立尊(くにとこたちのみこと)の御魂の半分が変化(へんげ)て、変性男子(へんじょうなんし)の身魂となりて居るのが、勿体(もったい)なくも天照皇太神宮殿(てんしょうこうだいじんぐうどの)の御妹子(いもうとご)の稚日女岐美尊(わかひめぎみのみこと)であるぞよ。
斯(こ)の世を拵(こしら)えるには、末代の事の、前後(あとさき)の能(よ)く見え透く御魂で無い事には、末代の世は続かんぞよ。是(これ)だけ世がくれたら、斯(こ)ういう世に成る、其(そ)の先はドウ成るという事が判らねば、一日先の判らぬ如(よ)うな今の政治の行(や)り方では、到底誠の事は出来んから、日の本の神国は治まりは致さんぞよ。
人も一代、世も一代と申す事があるが、今度は、神の世が一代くれた、末法(まっぽう)の終尾(しまい)の瀬戸際であるぞよ。
斯(こ)の終りの世が来るのが、神界には能(よ)く分かりて居りての、大望(たいもう)な世の立替え建直(たてなお)しの経綸(しぐみ)が為(し)てあるのじゃぞよ。何事も時節であるから、斯(こ)んな惨(むご)い世に成るのも、艮(うしとら)の金神(こんじん)が世に落とされたのも、世に上がるのも、昔から定まりた因縁事であるぞよ。時節が参りたら、ドンナ事業(こと)でも完成(でけ)るぞよ。」(『おほもとしんゆ』第4巻)

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太