信仰と健康
信仰を持つことで、人生の意義や目的、死後の世界を明確に意識することができます。その結果、健康にかかわる行動や、社会とのつながり、家庭環境にも良い影響を及ぼし、病気や困難に対する心構えができます。
『TIME』誌「信仰はどう癒すか(How Faith Can Heal)」(2009年2月23日号)の特集記事で、信仰が健康に与える影響について、医学的知見からも信仰をもつことは健康にいい影響をもたらすと紹介されていました。
信仰を持つことは、心にも身体にもいい影響与え、人生の困難を乗り越える力を与えてくれます。
心の悩みの反映
私たちの想念は良くも悪くも心と身体に作用し何らかの病気を誘発します。ストレスこそが病の元凶であり発信源です。
心に悩みをためないために、‶取り越し苦労〟や‶過越し苦労〟をしないことです。
心の悩みの大半は信仰によって解決することができます。
大本のみ教え
病気の大半は、忘るるときに全治する。元来、心からおこるものだ。病体となれば、大半は医術の必要がある。しかし、十中の八、九は病気なのだ。人間にとって、心配ほど毒なものはない。心配は寿命をちぢめる。(出口聖師著述・語録 抜萃集『愛善健康法―薬の巻』)
この世の中に、病気がますます増加するのは、すべて、人の心の悩みの反映であり、犯罪がいよいよ多くなるのは、人の心の偽りが、かく現われてくるものなのである。(出口聖師著述・語録 抜萃集『愛善健康法―薬の巻』)
病気を直す心がまえ
病を治すには、まず、精神のもち方を正し、これまでの自分の行いを省みて、神さまによくお祈りすることが第一です。
しかし、医療が不要というわけではありません。医師のお世話になることも、必要不可欠です。
大本のみ教え
心配ごとがでてきても、すべてを神さまに奉納して、心配せぬようにする。これが長寿の秘訣だ(出口聖師著述・語録 抜萃集『愛善健康法―薬の巻』)
病人に、食物や薬物や医師や病院にのみ、たよる心があって、神に祈り、神に謝す心がなくては、治癒がおそい。病気は全然、霊界からきているのだから、まず第一に、神にたよらねばならぬ。(『信仰覚書』第六巻 出口日出麿著)
神さまに、よくおねがいして、医師のお世話になることが、神さまを信仰するものの、あり方だとおもいます。お医者さんが、はやく手術した方がよいと、いわれるのであれば、早くしてもらいなさい。あまりタメラっていると、かえって悪化して、どうにもならなくなります。これは、お医者さんがいうのではない、神さまがおっしゃるのだ、と思われることです。(『寸葉集』 出口直日著)
医学もまた、神さまから人間が、いただいているところのものです。けれども、人間の一切は、神さまよりのものでありますから、医学にのみすがり、これに盲信することは、人間性の失格を意味することになります。したがって、たとえ医学によって、死の宣告をうけるとも、けっして、悲観するものではありません。(『寸葉集』 出口直日著)
手術のときも、これは医者の手ではない、神さまの手で、切り除いてくださるのだ、と思うことです。神さまにおまかせして治していただくと信じて、お医者さんにまかせることです。(『寸葉集』 出口直日著)
人々の病気なども、たいていは、自己の先祖のめぐり(※)が現界へ映ってきているものである。現界の人々は、よく「先祖が、子孫を病気にしたりして苦しめるというのは怪しからぬ」といって立腹しているが、それは間違っている。先祖は、決して、故意に子孫の肉体を苦しめるものではない。先祖の霊自身の、霊界における悩みが、必然に、現界へ映ってくるのである。(『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著)
※めぐりについて 〝めぐり(罪障)〟は、現界での行いや前世での行いと、先祖とのつながりなどが遠因となり積み重なってゆきます。例えば、〝めぐり(罪障)〟の深い家というのは、先祖のなかに、私利私欲にまみれ多くの人間を不幸にした者がいます。不幸にされた大勢の人間たちの積年の恨みによって、次々と似たような不幸な出来事がその家に起こります。
自然に適った食生活
真の健康は、自然に適った正しい食生活にあります。
感謝の気持ちを持っていただく
人が感謝の念に満ち、満足した状態にあるときには、胃腸をはじめ内臓諸器官が、もっとも正常にはたらき消化吸収力が向上すると言われています。
それに反して、不満や怒りや、悲しみの情態では、食欲も出ないし、食べても身につきません。心の状態を保つことは、食生活においても大切なことです。
民族、国土、季節に応じた食物
日本人は腸の長さなどからみても肉食よりは菜食に適した体質をもっています。その国土からとれる物をそこに住む人が食するのが最善です。
春は人間の体が柔らかくなります、そこで、春になると筍のような石灰分に富んだものが食べられるように自然が適切に用意しています。
人間の身体は季節相応の物を食べていれば、健康を保つ事が出来るようになっています。
その土地と季節に与えられた、生命力のこもる新鮮な自然食ほどよいとされています。
また、化学的添加物(着色、漂白、防腐剤、甘味料など)で処理した食品や、インスタント食品の害毒を過小評価してはいけません。
粗食、小食、総食
粗食の方が健康によいといわれています。脂のきつい濃厚なものを食べれば血液が濁ります。ことに白砂糖の摂り過ぎは、血液を酸性化します。万病の源は血液の酸性化にあります。健康な血液が全身をめぐっているときには、少々の病菌が体内に入っても、それを殺してしまう力があります。
病菌を恐れるよりは、病菌に負けない体質をつくる方が基本です。
近年、病気を未然に防ぐ予防医学が注目されています。総食というのは、ものの全部、総体を食べることです。つまり、その物がもつ生命力の全体を食べることです。野菜、穀類、魚なども、その全体を食べるのが、栄養的にも完全です。魚ならば頭も骨、芋や大根も皮をむかずに全部を食べます。皮の部分にむしろ栄養分が多く含まれています。人蔘や蕪も、根だけでなく、葉も食べます。果物もおおむね、皮ともに食べる方がよいといわれています。ことに米は、白米よりは玄米がよく、糠の部分に大事な酵素やビタミンやミネラルや脂肪が多く含まれてます。大自然が備えてくれている大切な養分を、人間の無知と、わがままによって捨ててしまい、みずから病気を招いています。
大本のみ教え
「安全だ」「安全だ」ということですが、それは不謹慎な話だと思うんです。遺伝子組み換え食品が出て、数年しかたっていないのに「安全」と言い切れるでしょうか。十年以上たって影響が出るんじゃないかしら。そのときでは、もう遅いと思うんです。脳死も、遺伝子組み換えも科学のなせる技ですが暴走ですね。完全な科学の暴走だと思います。もう、人間の域を越えていると思いますよ。非常な、ごう慢やと思います。クローン技術の開発もそう。結局、神の存在というか、自分を超えたものの力があることが分からないんですよね。どんなことでも超えちゃいけないものがあるんです。(『四代教主御教示集』 出口聖子著)
遺伝子組み換え食品などが出てきたこともそうだと思いますが、神さまは人類が二分とか三分になるとおっしゃっていますが、天変地変が起こらなくても、そういう意味からも、じりじりとそういう時代が今、来ているんだなあと思わせていただいています。(『つるかめ抄』 出口聖子著)
遺伝子組み換え作物も問題だと思います。科学の先端をいった身体に全く害のない、良い物だと宣伝をして、お百姓さんは楽になると言っておりますが、その裏の面は全く隠しており、それを食べ続けた人が今後どうなるか、子供が大きくなったらどうなるのか、ということは、まったく分かりません。ほんのわずかな実験だけをして(安全だと)言っているのですから安心できません。こちらが何も考えてなかったら、それにうかうか乗せられてしまいます。商売でもうまい話にうかうか乗せられることもあります。ですから心眼を開くと言いますか、奇魂、直日の御魂をしっかり磨いていただいて、何が本当か、何が偽りか、きちんと見定める眼を、これからは一人一人がもっていただかないといけない時代に入っていると思います。(『つるかめ抄』出口聖子著 )
世界の一部の学者は、人間が軽々しく踏み入ってはならぬ領域の研究をしています。いわゆる遺伝子を使った農業や医学、脳死状態からの臓器移植等です。その許されざる研究がもてはやされ、世界の脚光を浴びているのが大きな問題のように思われます。(『四代教主御教示集』 出口聖子著)
松と土と水
大本では開教以来、信仰的な気持ちで、お松、お土、お水をいただくことで、神さまからご神徳をいただき病が癒されるとお示しいただいています。
大本のみ教え
たいがいの病気は、松と土と水さえあったら、なおるものである風邪その他、熱のある場合には、雌松を煎じてのむと、じきに熱が引く。神さまに、お供えしたものならば、一層、結構であるお土は、傷をした場合に、ぬりつけるとよい。切瘡、火傷、打身、腫物など、何にでもよい。また、水にとかして、その上ずみを飲むと、どんな病気にも利く(出口聖師著述・語録 抜萃集『愛善健康法―薬の巻』)
もう医学ではどうしようもない、といわれた時は清浄なお土をいただいてください。いまの人はお土をいただくといえば野蛮だと思うかもしれませんが、人間はお土あって安心して生きていられるのです。お土の力はなにものにもまさるものをもっているはずだとおもいます。コップに入れた清浄なお土の上ズミのお診ずを、心からいただくことでよいのです。(『寸葉集』 出口直日著)
お土は、ものを育てるという神秘な力をもっているのですから、その力をもってすれば、医薬の道においても、驚くべきことがおこっても不思議ではないとおもわれます。(『寸葉集』 出口直日著)
病院での治療も大切ですが、お土、お松をもっと使ってほしいと思います。お土は、水に溶いた透明な部分の上澄みだけでもよいし、お松は煎じたいただくのがいいでしょう。両方を一緒に煎じる人もいますが、できるなら別々に頂いたほうがいいようです。(『つるかめ抄』 出口聖子著)
お土には副作用はありません。使用したからわるくなるということはないので安心して使っていただきたいと思います。(お土、お松は)開祖さまが神さまから教えていただかれたものだそうです。私たちも大いに使わせていただきたいと思います。理屈や理論でなく、実際にこうしてお土の効用を体験してきた私にとって、大本の人たちが、子供の小さなケガまで西洋医学一辺倒の近ごろの風潮は、少し寂しく思われます。(『つるかめ抄』 出口聖子著)
東海教区特派宣伝使 前田茂太