青空のみろく殿と桜
コラム

「日本魂(やまとだましい)へ立ち帰れ」

日本魂への復帰

大本のみ教えの中で、最も大切な事は、「真の日本魂(やまとだましい)への復帰」であると教えられています。大本の教典にも散見される「改心」「身魂磨き」も、日本魂への復帰と同じ意味といえます。

出口王仁三郎聖師は日本魂について、「日本魂とは、平和、文明、自由、独立、人権を破る者に向かって飽くまでも戦う精神をいうなり。無理非道なる強き悪魔を倒して、弱き者の権利を守る精神なり」と示しています。

大本で説く日本魂は、分断や分裂を生む、偏狭な国家主義ではなく、人種、民族、宗教、国家の壁を越えた平和共存を目指す「人類愛善・万教同根」の思想につながるものです。

明るく朗らかに物事に自ら取り組み逆境や困難を乗り越え、国境、人種、宗派を超えて、他人を尊重し誠実に人と接し和合することを心がけ、争いのない平和な世界が一日も早く訪れるように、弱者救済の大慈悲心をもって、日々の生活を丁寧に過ごす。これが日本魂復興の道であり、真の信仰のあり方とも示されています。

 

大本のみ教え

世界に大混雑が起こるのも、悪い病が流行(はや)るのも、日本の人民の上下の身魂が曇りて、天までも曇らして、日本魂(やまとだましい)の活動(はたらき)ができぬからのことであるぞよ。
世界の小言の絶えぬのも、日本国の責任であるから、この地の世界を守護いたす、日本の守護神と人民が一番に改心を致して、天地の間を清浄(きよらか)に致さねば、いつまでも天下泰平には治まらんぞよ。
日本の人民は尊き天地の神の宮に拵(こしら)えてあるのであるから、神の生き宮を余程清浄(きれい)に致さんと、神が生きた宮に住みて、天地経綸(しぐみ)の御用を勤めることはできんから、一日も早く今までの汚い心や、小さい物欲を速川の瀬に流し捨てて、身禊(みそぎ)の行を致しておらんと、肝腎要(かんじんかなめ)の世界改造(よのたてなおし)の御用が勤め上がらんぞよ。(『いづのめしんゆ』「大正八年二月十八日(旧一月十八日)」)

 

天を相手とし凡人と争わず、天地万有山野(やまぬの)海川を我の所有となし、春夏秋冬も昼も夜も暗も雨も風も雷も霜も雪も、皆我言霊(ことたま)の自由になし得る魂(たま)であるぞよ。
如何(いか)なる災禍(わざわい)に逢うも艱苦を嘗(な)めるも意に介せず、幸運に向かうも油断せず、生死一如にして昼夜の往来する如く、世事一切を惟神(かんながら)の大道に任かせ、好みも無く恨みもなさず、義を重んじて心裏常に安静なる魂(たま)が日本魂(やまとだましい)であるぞよ。
常に心中長閑(のどか)にして、川水の流るる如く、末に至るほど深くなりつつ自然に四海に達し、我意を起こさず、才智を頼らず、天の時に応じて神意に随って天下公共のために活動し、万難を撓(たゆ)まず屈せず、無事にして善を行うを日本魂(やまとだましい)と申すぞよ。(『いづのめしんゆ』「大正八年二月二十一日(旧一月二十一日)」)

 

今度は地の高天原の竜宮館から、天地に神があるかないかを明白(あきらか)に解けて見せて、世界の人民に改心さして、松の世ミロクの神代と致して、世界一列勇んで暮らすように世を替えてしまうのであるぞよ。
それになるまでに世界の黄泉津比良坂(おおとうげ)があるから、今の世の中の精神を根本から立替えてしもうて、誠の日本魂(やまとだましい)に立ち帰り、神国成就の御用を勤めて、末代神国の名を残してくだされ、神が誠のものにはドンナ神力も陰から渡してやるぞよ。
一日も早い改心が結構であるぞよ。(『いづのめしんゆ』「大正八年二月二十一日(旧一月二十一日)」)

 

今度日本の人民に、身魂(みたま)を磨いて日本魂(やまとだましい)に立帰れと申すのは、此の大望(たいもう)な神界の御用を致して貰わな成(な)らんから、世界はいずれは一洗濯致さな、此の侭(まま)では治まらんので在るから、早う改心致して、改心の誠の威勢を出して下さりたら、良き事が早く成るので在るから、神は世界助けたさに、種々(いろいろ)と戦争(いくさ)やら天災やらで、日本の人民に戒めを致すので在るから、ココを推量致して、早く神の経綸(しぐみ)を判(わ)けて下されよ。
此の経綸(しぐみ)を判(わ)けて光を出すのは、日本の霊主体従(やまとだましい)より無いので在るぞよ。(『おほもとしんゆ』第五巻「明治三十三年旧八月八日」)

 

九分九厘行くと掌(てのひら)が覆(かや)すと申してあるが、其所(そこ)まで行かんと、世界中は分からんから、
何も知らん悪の働きして居る利己主義(われよし)の守護神が、まだ邪魔を致すあれど、分かりて来るほど、何となく心が寂寥(さびしく)成りて来て、善の道には敵(かな)わんと、発根と往生致すように、日本の国の大和魂(やまとだましい)の種が、地の底へ落としてありた其の種で、元の昔に立ちかえりて、大和魂(やまとだましい)にねじ直すのであるから、従来(これまで)に仕放題にして居りた守護神は、大分辛いなれど、世は持ち切りには致させんぞよ。(『おほもとしんゆ』第四巻「明治四十一年旧十月十五日」)

 

水晶霊(すいしょうだま)に磨けんと、海外(むこう)の国の申すことを、おっとまかせで居ると、かなわんことが出来てくるぞよ。確乎(しっかり)いたして、元の日本魂(やまとだましい)の性来に、男も女も成りて居らんと、日本の国にの間に合わんから、婦人(おんな)でも男子(おとこ)が敵わん位に、日本魂(やまとだましい)を固めておくがよいぞよ。
皆ンな揃うて、従来(これまで)の悪のやり方を、全然(さっぱり)棄てて了(しも)うて、大和魂(やまとだましい)の性来に成りて居らんと、がいこく魂(みたま)では、日本の国が三千世界を救済(たすけ)るという事は六(むつ)カ敷(し)いぞよ。(『おほもとしんゆ』第二巻「大正四年旧六月十三日」)

 

日本の倭魂(やまとだましい)に戻す大本の教えを、未(ま)だ邪魔を致すから、止むをえず、世界には何(いず)れは気の毒があるなれど、仕組(しぐ)んである如(よ)うに致さんと、永うかかりて居りたなら、
国も立たず、一も取らず、二も取らず、永い経綸(しぐみ)も水の泡となるから、世界中事であるから、
何処(どこ)から何が始まる知れんから、一日も早く改心致して下されよ。(『おほもとしんゆ』第五巻「明治四十二年旧十月二十九日」)

 

先日、あるところからインタービューにお見えになった方から「大本の平和主義が世間から冷めたい目で見られて……あの弾圧があったのですね」といわれまして、驚いたことです。平和主義がどうしていけないのでしょうか。

大本のそれは人の心の悪を除く……神心になるようとの教なのです。世界の平和を願って神さまがお出ましになり、この教ができたのでしょう。ひとり、ひとりの心の平和、家の中、夫婦の間、ほう友の間の平和、それがひろがって村、町、国、世界ということにならなければ、世の中はなりたっていかないのです。ひとり、ひとりの心の平和が一番大事なことなので、二人があえば二人の間に、三人があえば三人の間に……そして国と国との間がみな平和になってはじめてこの世の中に安心してくらせることになります。ですから“平和”がいけないといわれたのでは、わたしには理解がいきません。

しかし“平和”を叫ぶ人たちのなかにも、自分たちだけが正しくて、他は敵だというような極端な考えの人たちもあるようですが、わたしたちの方には、いっさい“敵”というものはありません。みんな神さまの子できょうだいですから、仲よくしていかねばならないという教です。

神さまの心というものは、自分に反するからといって、それを敵として憎むことはありません。敵をもみなまつり合わせ、しあわせにしたいという温かい気持ちだけです。

人間というものは、すぐ黒とか白とかに決めたがります。平和への運動をしますと、なにか特定の思想と一しょに見ようとするし、また少しく国粋的なことを言うと、こんどは“右翼”だと決めつけてしまいます。それはまことに悲しいことです。

わたしたちは左でも右でもない“中道”まことの神の教の道を進んでいるのです。神さまのおしめしの「みろくの世」の一番大きな基礎は“戦争”がなくなるということでしょう。戦争というような、こんな愚かなことを繰り返えしてはいけない、ということを、みんなが心の底から悟って、戦争を永久になくしてしまった世界、それが「みろくの世」だとおもいます。

戦争といいますが、国と国とのそればかりでなく、人間の心にもっている“われよし”の、人はどうでもよいという見苦しい心もなくすることでありましょう。人類のあるかぎり、人の立場にもなってものを考え、ゆるし、自分を反省するというゆるやかな、たいらかな心は必要であります。少しでも神のみ心に近づかせていただいて、みんなのしあわせな世をいのりつづけたいとおもいます。(出口直日「戦争のない世界」人類愛善新聞「昭和36年4月11日/386号」)

 

個々をよくせねば全体はよくならぬ。現界においては人間が神である。お互い同士が懐かしみ合い、敬し合い、愛し合わずして、ただ単に、天なる神を祈ってばかりいたところで何にもならぬ。自分をよくせずして他人をよくすることは出来ないとともに、他人をよくせずして自分をよくすることは出来ない。

現界は平面である。だから、お互いに万事平面的でなくてはならぬ。ただ仕事の上においては、キッパリした階級意識が必要だが、気落においては、親子、夫婦、兄弟の情がなくてはならぬ。この肉親の情を一切に押しひろめてゆくのでなくして、単に義理一遍の気持からでは、生活に潤いがなく、なつかしさがなく、面白さがない。(『信仰覚書』第六巻 出口日出麿著

 

東海教区特派宣伝使 前田茂太